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隠れキリシタンの里 善長谷教会
1マリア様
2善長谷教会道標

キリシタンであることを 隠して 住み着いた 人里離れた無名の隠れたスポット
隠れキリシタンの地のことを あなたにも知ってもらおうと思い ブログにアップしてみました。

長崎市民も知らない隠れキリシタンの里 を20数年ぶりに訪ねてみました。

 3教会画像
14教会内
教会内掃除中にもかかわらず 信者でもないよそ者なのに 快く迎えてもらい
許可を得て教会内部を撮影させてもらいました。

ありがとうございました。
4善長谷教会案内

案内板によると 文化年間(1804年)、隠れキリシタンであった甚介の子、佐八が六家族を旅芸人の風を装い西彼杵郡三重郷樫山から脇岬の木場、ゆりさき(鯨浜付近・蚊焼)を経て、この地を信仰の隠れ家としたことに由来する。

または 文政6年(1823)外海地方(東樫山)のかくれキリシタン7戸が移り住んだことに源を発するとも 語り伝えられています。

5この地に立って

何は ともあれ 昔も今も われわれ 一般民衆は 時の為政者の政策によって 
翻弄(ほんろう)され続けるように  この地の 江戸時代の初期 
世捨て人のような生活を強いられた  一般民衆の壮絶な生き様が 
この地に立って ひしひしと 感じる自分がいました。 

ここからの夕日は 高島 伊王島 軍艦島を眼下に望み それはそれは 
すばらしいとのことですが 私は 残念ながら まだ体験してません。

10隠れキリシタン
11隠れキリシタン
 

先祖代々から住み着いた深堀の地元住民たちにはよく知られた話であり、また
深堀藩直轄の地である 長崎郊外にはこれに似た 状況の話が散らばっているようだ。

17キリシタン墓

農民一揆が宗教戦争に摩り替えられた 島原の乱以降 (1638年終結)
キリスト教を介して スペインの世界制覇の野望を恐れた 徳川幕府は 
キリスト教徒を強制的に改宗させる制度と 民衆をコントロールするための
戸籍制度である宗門人別帳が 制定化されて 

旅行や 仕事や結婚などで住居移転をする場合 新たなる檀家寺に 
届けなければならない寺請証文を必要とする制度が 
1664年に寺請制度として出来上がった。

 檀家制度が日本中に確立され 戒名など 火葬など 
今の葬式の方法が定着していった。
それ以来 各家には仏壇が置かれ法要のときは お坊さんを招き 
お経を上げてもらう慣習が出来上がっていった。 

要するに キリスト教徒 や 農民一揆を恐れた 徳川幕府の民衆支配下に
置くための幕藩体制が出来上がり 仏教がお寺が 幕府の民衆の統治体制を
代わりに行っていった。 

現代の葬式の習わしの由来は、
幕府がお寺を介して民衆のコントロールとキリスト教徒の排除から来た物なのです。

6菩提寺
民衆は仏教徒 の壇信徒であることの証明を受けいれ その寺を菩提寺として定め 
その檀家となることを義務付けられていたのです。

そして棄教した民衆には 幕府は寛大な処置をとってきた 

たとえば、案内板に記載されてるように この地、 善長谷の住民は 
深堀の菩提寺の檀家となり、さらに
深堀藩主へ恭順の意思表示として 深堀藩主のための水汲み役を仰せ付けられている。

また山奥のそのまた奥にある八幡神社への毎月の参拝が義務付けられていた。

8墓への道のり
9墓への道のり

そんなことから 山奥に入り込み 地元民の墓に行き もっと奥地に入っていくにつれ

12亀石
獣道を 歩くうちに 日本人の古来から伝わる 万の神々の元になる 
石の信仰にも触れてみようと思い 山の斜面をさ迷い歩きましたが 

13獣道
山に迷って 多くの人に迷惑をかけることになるまえに 
途中で探検を中止して 戻ってきました。

16帰り道

帰りしな 急な坂を 徒歩で上ってくる 数人の住民に 挨拶しながら 
話しやすい年配の女性を捕まえ この地に伝わる隠れキリシタンの話を聞いたところによると

7八幡神社道標
八幡神社にマリア観音様を隠し 神社参拝と称して お祈りしてたらしいが 
棄教が偽装とわかれば 子供 孫 子々孫々に累が及ぶのを恐れた 先祖は
八朗岳に 埋めて隠し 子供にも隠し場所を絶対に教えなかったそうで 
今では 行方不明とのことでした。 

棄教偽装は 隠れキリシタンと呼ばれて 現代の日本社会では認知されるようになった。

15ルルド
なぜ日本人にだけ改宗を装った 偽装棄教ができるのか 神様が絶対であると信じる
外国人の宣教師には不思議であっただろう

なぜなら いかなる宗教や いかなる神様を信じても 日本の待ったなしの稲の植え付けや
稲の刈り取り が 日本独特の四季のめぐりとともにやってくる 
稲作文化が育む 気候風土で学び育った 民衆には 神様よりも 人間が絶対なのである。

日本の気候風土で育ち教育を受けた人間は  どんな宗教に入ろうとも
「人間らしく」「人間として」の絶対的規範の元に根付いた 
ゆるぎない人間教徒なのだ。 


 いずれの宗教から見て 神様は絶対だと信じない 
日本人の常識は世界の宗教の教義から見れば非常識なのです。

 ガリレオの天動説が正しかったとローマ法王が現代になって なぜ認めたのかを考えればおのずと理解できるかもしれません。

隠れキリシタンの心の根底にあるものは、 戦国時代の戦乱に明け暮れる混沌たる 
秩序の崩壊により 殺伐とした差別を受けながら 
さらには その土地の為政者の圧制を受けながら 民衆が心のよりどころを求めたものは
「人間らしさ」なのです。

 日本の精神気候風土に合ったキリスト教を受け入れることによって
心のよりどころである「人間らしく生きる」ことにあったのです。

だから日本人の信仰は 外来の文化や宗教を受け入れても 
「人間らしく」であって 絶対的な神様ではないのです。
 だから絶対的な神様をだますことになる偽装棄教も日本人独特の本音と建前を
使い分ける 日本的精神意識構造の中では 許されてきたのです。
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テーマ:長崎 - ジャンル:地域情報

この記事に対するコメント

私も隠れキリシタンに興味があり一度教会を訪問し関係の方のお話を伺いたいのでが、なかなか機会がなく、また、情報がありましたらよろしくお願いします。
何故キリスト教なのか、人間らしさの旨がありましたが、人間らしさとはなんでしょうか
偽政者の企ては確かのそう思います
これからよろしくご指導お願いします
【2013/06/29 16:06】 URL | 浦田博行 #- [ 編集]

私の歴史や宗教観で、ご返信いたします。
他宗教のように絶対的な神様や絶対的な規範を持たない世界でも珍しい日本人の宗教観
は、対立を避けるため人間関係の和が尊重されて 対立を避けるためには交渉ごとは悪とされてきました。 
そのよい人間関係を構築するためには、人間らしさというあいまいさで
対立を避け、聖徳太子以来 待ったなしの稲作文化は、和が尊ばれてきました。
そこで日本人の宗教観が芽生えて 人間らしさという 人間教が生まれたと思っています。

先祖が隠れキリシタンであることは、身分制度が公表される当事者にとっては、
あまり公表したくないことでありますが、
観光産業にとっては、おいしい話題です。
(宣教師のターゲットは日本の身分制度「士農工商」のさらに下の層の虐げられた民衆をキリスト教に
リクルートしていきました。)

島原の乱の合戦地であります原城跡地や 長崎の多くの合戦場に立ってみると
時の為政者の権力争いに巻き込まれた民衆の慟哭が怨念が聞こえてきそうです。
合戦に敗れた落ち武者の悲惨な怨念は、今でもジバク霊としてさまよっています。

感慨深いコメントありがとうございました。
【2013/06/30 10:32】 URL | マンタ #8IGD9dRc [ 編集]


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