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トーマス・グラバーとビール会社
トーマスグラバーとビール会社
グラバーなくしてキリンビールの設立は無かったであろう

トーマス・グラバー


アメリカ人ウイリアム・コンブランドによりビール会社を横浜居留地に設営していたが経営不振から売りに出されていた。その会社の名前は「スプリング・バレー・ブルワリー」   

そこで、三菱の弥之助は治外法権の下にある会社を買収するには日本人には許されないので三菱のザ・ヤトイのグラバーを使って買収することになった。

何故弥之助は蔭でビール会社設立を狙ったのだろうか 三菱の経営の多角化を図る弥之助は海運業・炭坑経営・造船業だけではなく 不平等条約の改正によりビールの輸入関税が引き上げられることによりビールの輸入が激減するだろうと予測して、不平等条約改正前にビール会社を設立することが急務であった。

だが、これは、誰からも三菱が裏で操ってることを察知されてはならなかった。なぜなら治外法権を守ろうとする諸外国と 治外法権を撤廃しようとする日本政府の不平等条約改正交渉の妨げになることをどちらからも察知されればこのビール会社設立は頓挫するのは間違いない。

だから三菱のザ・ヤトイのトーマス・グラバーは黒子に徹することになる。
何故ならば、グラバーが取締役に就任すれば弥之助の居留地産業に触手を伸ばす野望が発覚することを恐れたからである。
会社名「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」と登記されたが5名の取締役の中にはグラバーの名前は無かった。
また株主の中にもグラバーの名前は無かったのです。

しかし、弥之助はぬかりはなかった。
なぜなら三菱の息のかかった外国人株主によって全株式の45%を占めていたのだ。

外国人と日本人の橋渡しとしてまたは弥之助の手足となってグラバーはビール会社設立へ奔走しグラバーの力なくしては、三菱の息のかかったビール会社設立などできなかったであろう。 
これが後に明治40年設立された麒麟麦酒株式会社と成るのである。

戦後の麒麟麦酒は、アサヒのスーパードライが出てくるまではガリバー型寡占のキリンビールで有名でした。それだけすごい占有率だったのです。ビールを飲むならキリン以外は考えられないといわれてた時代もあったのです。

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テーマ:歴史上の人物 - ジャンル:学問・文化・芸術

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