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福沢諭吉と三菱創始者岩崎兄弟との関係
ザ・ヤトイ
福沢諭吉と三菱創始者岩崎兄弟との関係

岩崎弥太郎銅像画像
20070517185341.jpg


後藤象二郎は、高島炭坑の収益をあてこんで政治資金に投入する目的での経営だったので採炭における安全性、抗夫へ支払う中間搾取賃金のリベート制度である納屋制度の改革、採炭の効率性などに対する経営計画など念頭には無いことが原因から、明治8、9,13年と大きなガス爆発が頻発に対しての対応の悪さや、賃金の搾取などから、坑夫が賃上げを求めて大暴動を起こし、採炭量が予想を下回り、炭坑経営は行き詰まりとたんに資金繰りに困るようになる.
そんなこんなで、後藤象二郎の高島炭鉱経営に対する意欲がなくなっていくのであった。

グラバー別邸画像 岸壁 
ここからグラバーは抗夫の大暴動のときは船に乗り移り
命からがら逃げ出したのです。
20070517185541.jpg

20070517185615.jpg


ここで福沢諭吉が突如と登場するのである。

これからの日本産業の未来を担う石炭産業を憂う福沢諭吉は、
外資の排除をうたった「日本抗法」を順守して、
民族資本が高島炭坑を受け継がなければないという信念から
動いたのである。 

福沢諭吉は明治11年1878年10月12日三菱の石川七財に
後藤の援助を頼んでいる。

しかし弥太郎と後藤は仲が悪く、後藤を助ける気持ちなどなかった。
原因は土佐商会の経営不振の後始末を弥太郎は後藤におしつけられ、
そんなことから後藤に対する不信感だけが残った弥太郎は、
東京裁判所が出した後藤に対する支払命令、負債額110万ドルを
肩代わりして、後藤を助ける気持ちには絶対になれなかった。 
そこで福沢諭吉は、後藤の娘婿である弥之助に弥太郎の説得を
依頼したのである。

このときの弥之助の葛藤が世間一般の人と変わらない人間臭さが見られるので福沢の述懐を載せときます。
「弥太郎さんと後藤さんは、そのころ、たがいに威張っていて、
商売上など別に助けあったようなことはないようです。
然るに弥之助さんの細君は後藤さんの娘であるから、
弥之助さんは兄の弥太郎さんと後藤さんの間に立って、
ずいぶん苦しい思いをしたことがあったようです。」
 (高橋義雄編纂 「福沢先生事績探問録」より)

こうして、福沢の足掛け3年にわたる努力により、明治14年には
弟岩崎弥之助の説得で兄岩崎弥太郎によって高島炭坑は買収され、
以後グラバーは弟弥之助の下で通称ザ・ヤトイと呼ばれながら
三菱の顧問として雇われて活躍している。

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