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城跡
城古趾(しろのこし)
昔昔 長崎市内にもお城が存在したのです もう地元の人間にも忘れられた存在ではないかと思われます。
私も子供の頃は、何故この土地がシロンコシと呼ばれてるのかもわからずに遊んでいました。

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ロッククライミングに適した岩が今でもありますが、よくこんな絶壁を中学生ながら登ったものだと我ながら感心しています。今では登る能力も気力もないことを確信しています。

鎌倉時代末期の頃の当時の長崎の地形は、現在の長崎市街はほとんどが海で、今の長崎県庁前から長く突き出た岬が“なんか岬”と呼ばれ、この地形から長崎と地名がついたと語り継がれています。
この地を支配した豪族長崎氏の名前もこの地名の由来から名づけられたといわれてます。

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長崎氏は、現在の桜馬場中学校に館を構え、その裏側に位置する、小高い丘陵は、長崎港が見渡せ、外敵を阻止するには格好の天然の地の利を生かした強固な砦を設けていたのです。それは鶴城と呼ばれ夫婦川町、桜馬場、鳴滝、中川、片淵辺りが城下町だったのです。
今ではシーボルト通りと呼ばれ地元の人には親しまれています。

攻めるには小高い丘が邪魔するし、城の背後をつくにも絶壁の山肌を制覇しなければならない。
この城跡にたたづんでいると合戦の声が私の耳の奥に聞こえてくるのです。

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この道は当時のままに残ってる貴重な遺跡ではないでしょうか。
ここから反キリシタン武士達が攻め登れば、身動きがとれなくなり、
キリシタン武士のやりや弓矢の武器で次々と討ち果たされ、
長期戦となっていったのです。

武者震いと勇者の血で血を洗う地獄のような肉弾戦が私の脳裏に焼きつき武者震いと共に当時の荒武者達が、私の魂にうったえかけてくるのです。
それは、その昔1613年(慶長18年)キリスト教の禁止令が施行された以降の頃のはなしです。

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当時のキリシタンを弔った後かな
キリスト教信者には改宗を強制し、宣教師や信者に対し激しい迫害がおこなわれたのです。
キリシタン大名大村純忠の家臣、長崎氏と豊臣家の家人深堀家と天下分けめの代理決戦があったのも日本の歴史の中にも忘れられていて、城跡だけが、誰も手をつけることができずに荒れ果てたままに当時の面影をのこしているのです。

血で血を洗う、裏切りの中から発する憎しみのうめき声やいわく付きな話がこの地には無数に転がっています。

    続く
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テーマ:長崎 - ジャンル:地域情報

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