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新資料 薩長同盟から わかった 龍馬の虚像と実像
村祭り

今日の福山雅治のFM鈴木トーキングで わかりやすい薩長同盟を志す といってたが
今週ばかりは わかりにくい 歴史を無視した 視聴率重視の 大変面白い歴史ドラマであった。

西郷と木戸の交渉はお互いのメンツにこだわり 2週間が過ぎても何も決まらない 
同盟締結を 投げ出した木戸が 帰ろうとした矢先に 龍馬が現れ 木戸に向かって

「自分は日本のために頑張っているのに、藩のメンツにこだわるとは何事だ」と一括した
と 明治になって木戸が書き記した 「 防長勤王事蹟自叙」によって 
龍馬は英雄として一般庶民に広く知れ渡る様になった。

しかし この記述が嘘か本当かは 木戸以外には生き証人がいないので 検証ができなかった。 
しかし この薩長同盟の経緯は 木戸の作文ではないかと 最近の研究では疑われるようになった。 

それは、近年島津家が所有してる 玉里島津家文書 が公開された.
これによって この木戸の証言を 翻すような 新資料が見つかった。

それは 龍馬が 西郷の命において 長州との和解に奔走してたと 考えられる内容の手紙が発見された。
その内容は 下関で会った木戸との会見で 彼は他の長州人と違って薩摩に対して 悪感情は持ってない旨を 
報告している。

龍馬の行動を監視してた ある薩摩藩士が 西郷に報告した密書の内容によると
薩摩が長州との和解のために 龍馬を長州に 密使として隠密裡(おんみつり)に送り込んだ目的は 
薩長和解の事情探索と 下工作であることが 判明した。

薩摩藩では 朝敵となされた 長州と同じ運命をたどらないためには 徳川幕府から 
いずれは攻撃を受ける前に
長州を橋頭堡(きょうとうほ)にしようとの地政学的狙いとしての戦略が薩長軍事密約同盟に 
つながっていった。

龍馬が スーパーマンの如く 八面六臂の活躍ができた理由は 
どこで 誰につかまろうが 白状しようが どこにも属さない脱藩浪士である龍馬は

 勝にも西郷にも 後藤象二郎にも 使い勝手のいいトリプルエージェントだったからである。
だから龍馬の虚像と実像のギャップがはげしいのです。

これを分かりやすく説いた 歴史資料から判明した 薩長同盟の経緯(いきさつ)と龍馬の実像です。

密約の内容
1.開戦になったときは薩摩藩は2000の兵を東上させ、京坂両所を固める。
2.戦いが長州藩に有利となれば、薩摩藩は朝廷にはたらきかける。
3.万一長州藩が敗色濃くなっても、薩摩藩はいろいろと尽力する。
4.開戦にならず、幕府が撤兵した時は、薩摩藩は朝廷に奏上して、長州藩の冤罪を解くように努力する。
5.薩摩藩が東上した時、場合によっては一橋・会津・幕府と戦う。
6.冤罪が解けた後は、薩長協力して皇国のために努力する。

そこで 冒頭に述べたように西郷と木戸の交渉はお互いのメンツにこだわり 
2週間が過ぎても何も決まらない とマルデ交渉が難航してるかのように木戸が書き記してるが 
これは嘘である。 

この2週間は 禁門の変でのことが幕府が長州を朝敵として処分するかしないかの
決定を待っていたのである。
朝敵と決定された 途端 薩長同盟は締結されたのです。

そこには 薩摩と長州の口約束の中に木戸の手紙の中からわかった 
「(薩摩が)調停に朝廷に働きかけ長州の冤罪を晴らす 」 
これが長州にとっては最重要課題だったのです。

だから 龍馬に木戸はこの口約でできた密約を文章化して 裏書証明をしてもらったのです。 
だから木戸は天皇が絶対視された明治において 自己保身のため 天皇の決定を覆(くつがえ)
すための薩長同盟であったことを隠さなければならなかった。

この木戸書簡から 現代にいたるまで 龍馬は 小説家に 政治家に 物書きに 
と都合のイイ人物として 利用される様になった。

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テーマ:龍馬伝 - ジャンル:テレビ・ラジオ

通貨戦争に一人負けしてる日本
打ち上げ花火

世界はアメリカの保護主義政策の延長として自国の輸出産業を保護するため
自国通貨安戦争をEUへ仕掛けてきた。 

その前哨戦として意図的と思われるギリシャの暴動 タイの暴動はユーロの通貨信用不安をおこし 
国際的な金融市場をまひさせ タイバンコックから資金は引き上げられ為替市場は不安定となる。

そこへ投機筋の胴元ロスチャイルドが 記者会見で 市場から投機資金を引き上げる指針が発表された。 
そして市場は多くの売り手はいても 買い手がすくな 薄い商いとなっていった。

それは世界同時株安とともに現在の世界の通貨体制の崩壊のまえぶれでもある。
このように見てくると、世界経済の中で、日本だけが なぜ"自国通貨安戦争"に負け続けるのだろう。 

その敗北の原因は 単独介入も 協調介入も 何もしない 菅直人が原因である。
いや、もっといえば、危機の時は何もするなと アメリカから 脅されて いるのでは

だから 小沢一郎や鳩山由紀夫のようになりたくないから アメリカの言いなりなっている 
だから 日本のリーダーにして 何もしないできない.

その間に 諸外国は日本を踏み台にして 自国経済を持続させようという
"国際協調"があるかのようである。

そこで日本のメルトダウンが起こらないためにも 精神的に強い 
リーダーシップを発揮できる具体策を持ったリーダーに期待するしかない。

具体策は と問えば 検討して進めてますでは 誰もが何もしない できない させない 
とマーケットに失望感を与えるだけ。
そこで 命をかけると豪語する菅直人にしては なぜこの日本の危機になにもしないのだろうか? 
アメリカの意向なのだろうか?

それこそ命をかけて血みどろの為替戦争を生き抜いてきた海千山千の為替のディーラー達に 
尋ねれば 具体策が建てられる。
その具体的戦術は アメリカの息がかかってない財務官僚を動かして
財務省が本気でドル買いの意志表示をしめす。
そこですぐにドル買いを実行すれば 為替投機筋はドルの買い戻しに動き 一挙に円安となり 
株価も上がる 投機資金は補正予算を組むほどの資金はいらない。 
(いつ どこで 誰に 何を どのくらい どのような方法を取るのかは
当方都合により申し訳ないですが 漠然と書かせてもらいました)

ただしこれを実行したら ドル安政策を進めてる アメリカを本気で怒らせる結果となる。
だから命をかけてると公言してるが アメリカにびびってる菅直人にはできないと断言できる。
小沢一郎にはできる。 

またできるとわかってるアメリカは
東京地検特捜部を使って またまた 邪魔をするであろう。

このまま菅直人が何もせずに アメリカの意のままに 日本だけが 通貨戦争に負け続けたら 
日本の企業は円高・株安対策としての戦略は

日本の企業はこの円高リスクを回避するためには人件費の安い海外へ
主力工場を移転せざろうえなくなる そして 本来は日本で作られる商品を 
円高の日本が輸入して 日本国内で売られる という現象が起こりはじめている。

すでに、ユニクロを展開するファーストリテイリングやローソンなどの流通、
大手家電量販店のヤマダ電機も中国に出て それらの商品を日本は輸入している。

もしこのまま菅直人政権がアメリカの顔色を伺って、 マニフェストを無視して無策であり続ける限り 
日本の企業は円高リスク回避するため 主力工場を人件費の安い
関税のかからないアセアン タイやインドネシアへシフトしています。

東南アジアへ移転し 関税のかからない タイから 日本へ諸外国へ輸出という企業戦略を立てるので 
日本は大失業時代の入り口に 立っていることに経済オンチと呼ばれてる菅直人でも  気づかねばならない。

それとも よ~~~く わかってるが アメリカの顔色を伺いながらの政治では
指針などないから 難しいかも


日刊ゲンダイ2010年8月18日によると
総務省が17日に発表した4―6月期平均の労働力調査によると、349万人の完全失業者のうち、
失業期間1年以上の人は前年同期比21万人増の118万人にのぼり、過去2番目の高水準だった。

 帝国データバンク情報部の中森貴和氏がこう説明する。
「95年ころの海外生産はどこの会社でもできる汎用品が中心でした。しかし、これからは違う。
心臓部にあたる部門を海外に移すことが普通に行われます。
日産は主力車種のマーチをタイ工場でつくることを決めました。
これから人件費の安いタイでつくって円高の日本で売る。いわゆる“マーチ・ショック”です。
会社の基幹部門が移転すれば、工場労働者だけではなくエリート社員も職を失うことになるのです」


“マーチ・ショック”に見られるように
日本は待ったなしで 輸出産業は日本を出て行き 雇用がなくなり 
大失業時代の入り口に立ってるんだぜ  かんさん 話を聴いて検討をすすめるのではなく。

総理大臣になったのなら アメリカを怒らせてでも 日本の雇用を守るためにも
我が身を打って円安ドル高にしてみろよ。 命をかけてるのは嘘でない証を見せろよ!

それとも 命を掛けると いう言葉は 世界恐慌へ突き進む方針を立ててる 
ある組織への 隠されたメッセージなのかな?

テーマ:民主党・菅直人政権 - ジャンル:政治・経済

作為的と思われる 止まらない円高 株安
花火

なぜ円高 株安が歯止めが かからないのか? 
 こんなァこと ハナッカラわかってたのに

なぜ マーケットを悪者にして 具体策を取らない取れない菅直人政権。
なぜ無策でなければならないのか 何に菅直人は怯えてるのだろうか。

小沢一郎を見習って 堂々と 恐喝から戦え! 
総理大臣になったら一国のリーダーの自覚を持てよ アメリカの為ではなく 
日本の為に 働けよ マスゴミに怯えるなよ!
総理大臣になって嬉しいだろうけど そんなことで満足するなよ!

菅直人の無為無策には触れず 民主党内争いに焦点を当てようと
ヤッキになってテレビに出演する御用学者やコメンテーター達

7月18日の当ブログで 景気不景気は人為的に作られるもの
で発表したように 世界の投資(ギャンブル)を仕切ってる
影の胴元 ロスチャイルドが記者会見という表舞台に現れた。

その時の会見で、彼の今後の具体的な方針を発表した。
今までの投資対象である通貨・株式・金融商品から資金を引き上げて
 各国に眠る鉱物資源を投資の対象とする。

だから これからの予測は 以下のようになることはわかりきっていた。 
世界の食糧 や資源の高騰が起こり
通貨の混乱が始まり 通貨安となり 株の 暴落が始まり 金融商品は溶解し 
世界中の金が 回らなくなり 世界の市場では 売る株はあっても買う株がない 

という 薄商いとなる。
だからマーケットは仕手戦ができない 深刻な状態となる。
と示唆していたが 日本のマスコミはこの日本の経済を左右するロスチャイルドの記者会見の
発表に対し何の報道も 発表も コラムもなかった。

今日8月20日夜中のNHKのニュースでホノハン・アイルランド中銀総裁の記者会見を見ていたら
ユーロ安により輸出が伸びて ユーロ圏経済の回復は緩やか との発言から
EUの通貨政策は ユーロ安に政策の大きく舵を取ったことがはっきりと分かった。

 またアメリカも連邦準備局FRBの金利が超低金利政策をとっている限りは 
ドル安が続くのは間違いない

その大きな世界の通貨安政策のうねりの中で 日本の菅直人政権は 何もしない 
口先介入だけでもやらない限りは そのまま円高が進行するだけ 
そこで なぜ 菅直人政権は 日本国だけの為替介入では
何もできない とあきらめ気味では なんとも頼りない限りである。

多分裏に回れば アメリカが仕掛けたドル対ユーロ通貨戦争の通貨政策である
ドル安とユーロ安に加担させられてる と 思ってもおかしくないかもしれない。

また 日本の政府が アメリカの国債を買わないから FRBは低金利政策を変えることができない 
だから 円高が続き 1ドル 75円になると 考えてもらいたい 

そこで 日本の輸出産業を守るためには
アメリカ 国債を 買え と 脅迫されてると思ってもおかしくないと考えるのも必要か

また アメリカの力で総理になった菅直人を洗脳して マスコミを使って消費税を上げなければ 
日本は破産すると日本国民を洗脳して 消費税を10% 15% 20% と段階的に上げて 
その税金をアメリカ国債を買う資金に当てさせようと アメリカ政府は策略を図ったのだろう。

首相官邸で記者団のぶら下がり取材から菅直人政権の無為無策がみえてくる。
【円高・株安対策】
 --よろしくお願いします。きのう、日銀の白川方明総裁と電話会談をしたというが、
きょう24日も円が高騰し、東京市場では9000円割れして今年最安値を更新した。
この水準はまだ注視を続ける段階との認識か。
そうではないのであれば具体策をどう打つか、国民に説明してください

「為替の急激な変動というのは、これは好ましくないことなので、注意深く見ていきたいと。
経済対策については、今後、経済界からも話を聞いて、検討を進めていきたいと思ってます」

 --具体的な対策というのは。
「今、各大臣からの話も聞き、労働界、さらには経済界から話を聞いて、検討を進めます」

産経新聞 08月24日20時16分より

アメリカ ヨーロッパの輸出産業を守るため 通貨安政策をモロに被っても 
何もできない日本を想定して 円高が 1ドル 75円まで進むように 
設定されてるのかも です。

そのためには ぶら下がり発言で理解できるように
なにもできない 具体策を持たない 経済オンチの菅直人に白羽の矢があたったのでは?

そこで“経済オンチ”と呼ばれてる菅政権が具体的な円高対策が打てないでモタついている間に 
シナリオ通り 円高は進み 円相場は1995年4月に付けた1ドル=79円75銭の
史上最高値を更新する可能性が高まり 今年から来年にかけて世界同時不況に入る可能性が目前に迫ってきた。

そして このまま アメリカの顔色を伺い 何もしない 口先介入もできない
菅直人 と日銀白川総裁のパホーマンスによって日本は大失業時代に突入する。

それは なぜかを 次回に具体的に説明します。。


テーマ:児童ポルノ法改正案 - ジャンル:政治・経済

近藤長次郎の切腹から見た海援隊という組織
近藤長次郎の墓

この画像は ブログ仲間のイナッキーさんから拝借しました。
場所を知りたい方はここをクリック

「梅花書屋氏墓」は、小曾根邸の離れの屋敷名をとって墓碑に記されているそうだ。
筆跡は龍馬のものとされている
今日の龍馬伝 先週見れなかった。 残念である 今日はぜひ見るぞ との意気込みで
夕方から どこへも出かけなかった。 

そこで長次郎のことであるが
 
亀山社中の本来の仕事である
長州までの武器の運搬は 近藤長次郎の手腕によって運営されてた。
薩摩から命を受け、武器商人グラバーから新式小銃ミニエー7300丁を手に入れ 
長州へ運搬することに成功した 長次郎は 長州で、この任にあたった、
伊藤俊輔(伊藤博文)と井上聞多(井上馨)から日本では考えられない 優れた西洋事情を聞けば 
誰でもとは言わないが 行ってみたい 見てみたい 訪問したい 学んでみたい と思ってもおかしくはない。
そこで、グラバーに英国への密航を手助けしてもらうことにした。

海援隊仲間に単独密航がバレた長次郎の行く末は 

『維新土佐勤皇史』によると
「皆、上杉(近藤長次郎)の告げずして洋行せんとするを烈火の如く激怒し、『拙友を売るの奴、盟約に拠りて直ちに制裁を下すべし』と即決し、この夜一同小曾根(英四郎)の別荘に会し、数人往きて上杉を拉し来りぬ。まず、沢村(惣之丞)等一同は容を改め、『およそ事大小となく相謀りてこれを行うべきは、社中の盟約に背く者は、割腹してその罪を謝するの明文あり。不幸にして社中にその人有り。割腹して謝せよ。』と。言おわらざるに、上杉にわかに色を変ず。沢村再び呼んで曰く、『その人は上杉宗次(ママ)郎君なり』と。上杉、とっさに口を開かんとするや、沢村忽ち大渇して曰く、『この期に臨み弁疏(ベンソ)は無用なり』と。さすがに上杉も逃れぬ所と決心し、『いかにも約の如く割腹して、諸君に謝し申さん』と。ついに席を設けて自刀したるは、実に慶応二年丙寅正月十四日の夜の事なりき」

そこで 土佐勤皇の志士を ほめたたえるための 『維新土佐勤皇史』であり 
多分 土佐勤皇の志士 沢村(惣之丞)を
ほめたたえるため 彼の独断専行を 印象づけてはならないため 社中盟約なるものが 
まるで存在するかのように 体裁を保つため の
この作者の作文ではなかろうか と思ってしまう。
 

そこで海援隊約規 と照らし合わせながら なぜ 長次郎が切腹しなければならなかったか分析してみた。
(一度当ブログで分析したので重複します)

海援隊約規
 1、凡嘗テ本藩(土佐)ヲ脱スル者及佗(他)藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者此隊ニ入ル。
   運輸、射利、開柘(拓)、投機、本藩ノ応援ヲ為スヲ以テ主トス。
   今後自他ニ論ナク其志ニ従ッテ撰入之。
 
  (勝海舟により幕府以外の他藩からも広く人材を集めて日本のためになる
  人材育成のための学問を神戸の海軍操練所で開いたが 
  幕府の疑念により閉鎖にいたり その行き場のない人材を
  塾長であった坂本龍馬が見込んだ仲間たちが集まった土佐藩の仲間たちを
  主にしての仲良し共同体である)

 2、凡隊中ノ事一切隊長ノ処分ニ任ス。敢テ或ハ違背スル勿レ。

  (隊のことで揉め事が起こった場合は、隊長にその処分を任す 
   となってるが 隊長にお伺いを受けようとせず 
   話し合いの中で単独密航を企てた近藤長次郎を 沢村は追い込んで
   切腹させてしまった。)

 3、若暴乱事ヲ破リ妄謬害ヲ引ニ至テハ隊長其死活ヲ制スルモ亦許ス。
  凡隊中忠難相救ヒ困厄相護リ、義気相責メ条理相糺シ、若クワ独断果激、儕
  輩ノ妨ヲ成シ、若クハ儕輩相推シ乗勢テ他人ノ妨を為ス、是尤慎ム可キ所敢
  テ或犯ス勿レ。 

   この3項は何を基準に決めたのか さっぱりわからない。 
    これを一言で相互扶助で翻訳していいものか はなはだ疑問である。

    だから何かことが起こったときの明文化がなされてないので 
    日本人得意のあいまいに和を尊重しての話し合いで解決させようとしての
    混乱が生じるであろう。

    (近藤長次郎を独断で切腹させたメンバーたちが規約違反だと思われるが 
    共同体の和を保つためには、責任転嫁が徐々に 一人の人間に集中していき 
    その人間が切腹すると罪は免除されて 問題は解決したように見られるが、 
    実際は ひとつも解決されてはいない。 
    龍馬曰くオレがいたら死なせはしなかったのにと 
    規約を無視した隊員をとがめることもなく いつまでも この事件の尾を引いている。)

  4、凡隊中修業分課ハ政法、火技、航海、汽機、語学等の如キ其志ニ随テ執  之。
    互ニ相勉励敢テ或ハ懈ルコト勿レ。

    (学問に励むことにたとえて 修行と明記していることに注目した。
    亀山社中運営に当たっては海援隊は、これらを学んで、
    これらを機能させなければならないのでは そうすれば勉学を競い合って
    勉学に励まなければならないのでは。 
    しかし共同体では競争を嫌うために 学問を修行と位置づけている。
    だから 共同体を維持するためには 皆同じでなければならず 勝手に
    単独で 密航など 企ててはならぬ )

  5、凡隊中所費ノ銭糧其の自営ノ功に取ル。亦互ニ相分配シ私スル所アル  勿レ。
    若挙事用度不足、或ハ学科欠乏を致ストキハ隊長建議シ、出崎官ノ給弁ヲ竢ツ。

    (自ら得た利益は隊員みんなで 平等に分配するという共同体の概念が盛り込まれてるが 
     給金が不足した場合は隊長が出崎官に不足分を出してもらう。
     いろは丸が長崎出港に際して後藤象二郎から岩崎弥太郎にたくされて
     土佐藩の援助百両と社中メンバー16人へ毎月5両の給付を受けている。 
   
     後に薩摩藩から各月に3両5分ほどの給付を受けることにより 営利追求よりも
     共同体を維持することに土佐藩 薩摩藩が費やしたようだ。)

     近代的考えを持ったと見られる海援隊も 

     このように規則をひとつひとつ検証してみると 
     機能集団として動くのは不可能である。
     組織を機能させる命令系統が まったく見られない。 

     龍馬がリーダーかもしれないが すべて話し合いという 
     絶対的規範で 先輩後輩もしくは年功序列で 物事の 
     すべてが決定されていた としか思えない。

     近代的といわれる海援隊も日本人の独特の伝統文化である
     共同体を受け継いでの発足が伺える。

     維新史研究室が所有してる龍馬が左から3人目に写ってる海援隊6人のスナップ写真を
     じっくり見て感じたのは
     同級生同士の集合写真に見えてくるのですが。

そんな仲間意識からの逸脱行為いとして 近藤長次郎は受け取られたのでしょう。

「坂本龍馬手帖摘要」によると、長次郎を
「術数有り余って至誠足らず。上杉氏身を亡ぼす所以なり」と評した。 

この龍馬の評価から長次郎を分析すると
あまりにも頭が良すぎたばかりに 長次郎は、仲間たちからは 浮いた存在となり 
疎(うと)まれてしまったようだ。 

この頃 FMトーキング や 昨日のNHKでの番組 歌番組にでてる ましゃを見かけることが多くなった。 
次回またこの頃の福山雅治の心の中を 勝手に分析して見ます。



テーマ:龍馬伝 - ジャンル:テレビ・ラジオ

御巣鷹山日航ジャンボ機墜落は事故か事件か
P1080494.jpg
1985年8月12日の 日航機墜落は事故だったのか 事件だったかも
事故調査委員会の発表によると、圧力隔壁の破壊によって垂直尾翼が破損した人のこと。

当時 私は、この未曽有の大惨事と言うことで テレビ報道に釘付けになった。
そして 生き残ったかたの
証言記録や 現場検証をされた方  この飛行機をあらゆる角度から目撃された目撃者証言から 
それと ボイスレコーダーからの発表がなかったことから 何かがおかしいと思いながら忘れていた。

けど8月12日のニュースを視て 思い出した。
当時の記憶をたどりながら 証言記録をインターネットで調べながら
航空機事故ではなく 大事件だと悟った、。

ネットにこんな書き込みがあった。

一つには群馬県が地盤の中曽根政権であったこと
「事故機が発見されない」の報道の最中、事故現場
付近に釣りに来ていた大学助教授が、同行の学生
らとともに自衛隊特殊部隊を目撃している。
自衛隊が現場へ急行、事故機を発見し、証拠隠滅
をはかったのではないかという見解あり。

そこで 
なぜ自衛隊は正確な緯度経度を発表しなかったのか
その正確な地点である高天原(たかまがはら)山 が隠されたことにより
故意に墜落地点と発表された御巣鷹山の名前が、
1報の誤りをそのまま引きずってしまったようだ。


奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。
同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったときの話。
「墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、
私の両親もまだ生きていたような気がする。
しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。
そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、
周りの人たちはみんな死んでいた。」
慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えたらしい。
しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わってしまった。


さらに 奇跡的に助かった4人の中から、落合さんの証言の一部を書いておきます
やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、
音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。
これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど
、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。
帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。
ああ、帰って行く・・・・・。

これを読んだ私は
このような証言内容から察するところ 自衛隊は正確な位置を短時間で把握していたが 
なぜ123便の発見に10時間もかかったのだろうか

そしてこんな現象の目撃談も発表されていた。
・無人標的機の塗装であるオレンジ色の金属片が墜落現場で見つかっていること(墜落現場に入った直後のビデオテープの映像に、ジャンボジェット機には使われていないはずのオレンジ色の金属片が映っている)
・この金属片を機動隊員が運び出す作業も映っていたが、墜落現場から運び出された機体の破片の搬出先の倉庫にも、この破片は見つからなかった。

これを裏付ける こんな目撃証言がある。
赤いプロペラの付いた物体が、畑の上を飛んで行き、それがJAL123便に当たって飛行機が爆発した。
{匿名・・テレビ取材、農家主婦と息子}

生き残った人の証言によると「メリメリという音がして、1.5メートル四方くらいの穴が後ろの方にあいた。
穴の奥に扇風機のようなものが見えた。」とあります。


また現場検証された方の 劣化ウラン弾が使用されたのでは 思われる 
凄まじい信じ難い証言から抜粋してみました。。

「上空からその場に垂直に近い角度落ちたことが分かります。
遺体の状況ですが、ほとんどの方が水分の箇所を失っています。一瞬にして殺されたことが分かります。
見た目の損傷が少ない方も、中性子線を和らげる樹脂性シートからはみ出した部分、
即ち、頭の部分の水分が昇華してしまい顔がないのが分かります。

生き残った方も急性原爆症で亡くなりました。
奇跡的に助かった4名は前列からの人間の水分、樹脂製のシートで
核シェルターの中にいる状態となりました。

それに対して高い立木の上に引っかかった写真があります。
これは重要な一枚です。その立木の周りの木々に葉っぱがはっきり写っています。
針葉樹独特の燃えやすい葉です。引っかかっている遺体はまるで破裂したかのような損傷です。
そして黒こげです。

これは落ちて来て木に引っかかる前からこの状態であったことを証明しています。
出なければあの状態で木にひっかかる分けがありません。
ほとんど身体の表皮だけが落ちてきたからこのようなことになったのでしょう。

このような写真の事実からあの場所に落ちる前から激しい損傷を受けた遺体があったことを
証明しているのです。」

さらにて 生き残った方の証言内容から

「墜落した時は、大分多くの人が生きてはって、御父さんも咲子ちゃん(妹)も未だ生きてて、御話しててね。
あっちでもこっちでも、がやがやと話し声が聞こえて来て・・・。」
「(残骸から)抜け出そうとして動くと足が痛くなる。そう言うたら御父さんは動かん様になった。
段々動かなく、物を言わない様になった。咲子ちゃんも吐いた物が喉に詰まる様な感じになる。
『御婆ちゃんと、又皆で元気に仲良く暮らそうな。』と言って上げたけど、
げえげえと言い出したと思ったら静かになって、咲子ちゃんも死んだみたいや・・・。
廻りで皆が話してはった声も、段々聞こえなくなって・・・。その内、皆話さなくなった・・・。」

生き残った方で亡くなった方は急性原爆症です。


とのことでした。

また 多くのご遺体が 語ってると思われる証言をネット上から拾ってみました。
ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、
「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。
二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。

 実際、この”重大事件”を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、
2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、
その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?

というご意見までネット上にあった。

 2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。

また、中性子爆弾からの中性子線は比較的短時間で減衰するため、
放射線強化型水素爆弾は「きれいな爆弾」と呼ばれています。

しかしながら、123便の地獄から見出せる実態は、強い中性子線により放射化が発生し、
現場は25年経っても危険です。

また、123便に行使された中性子爆弾は首都圏を中心にコンクリートの構造物に被害を与え続けています。

とても実際に使える兵器ではないことが伏せられています。

そこで、強い中性子線により放射化が発生し、現場は25年経っても危険です。

ということを裏付ける証言として 以前ネットで以下(要約)の体験を発表された方がいる

御巣鷹には 今でも許可無く上ることができないことも知らずに車で御巣鷹山に向かっていたとき。
前方を走る車から 停止を求められたのが覆面パトカーであった
法定速度で走ってたが スピード違反となり 逮捕され釈放の条件として二度と御巣鷹には来ないと約束されたそうである。
 との体験者の証言です。

また別の角度から証言されてる地元民の証言から察するところ
当時の地元民の証言は 墜落現場へ救出に向かおうとする人たちを警察が阻止し
自衛隊は墜落現場とは違う方向へ向かってた。 
そして報道カメラも違う方向へ誘導されたようだ。

そして以下の証言から察するところ 
事故調査委員会の発表による、圧力隔壁の破壊によって垂直尾翼が破損した。 
は信ぴょう性に欠けると考えられる。

・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった
・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。
―浦和市に住む住民の目撃証言
(垂直尾翼を破壊されても、エンジンには支障のない飛行機が火を吹くはずはないのです)

・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。
―長野県南相木村中島地区の住人3人

・生存者救出のために山腹に到着した時、既に自衛隊員が到着していて生存者救出そっちのけで、
(証拠隠滅に)機体の一部を回収していた。(先の特殊部隊と思われる)

私は国家ぐるみで実行される 小沢一郎潰しや 植草教授の痴漢冤罪事件だけではなく
国家ぐるみで隠された 大きな犯罪が 法律を盾にして 明るみに出すことができないようです。

なぜなら 生き残られた4人の生存者はこの事件を風化させないためにも 語り部として 
マスコミに出てきてもおかしくないし
マスコミとしては 視聴率を上げるためにも美味しい話ではないかと思うのですが
すべての確信を突く証言には緘口令がしかれたようだ。
さらには確信を突くであろうと思われるネット上の書き込みが 
ことごとく消されていることが如実に物語っています。

何かしら大きな得体のしれない 怖いものが真相解明を阻止してると誰もが強く感じ取ってるようです。




テーマ:情報の後ろにある真実 - ジャンル:政治・経済

ある教師との思い出
普賢
尾根
フェリー

ドラマ龍馬伝が毎週楽しみです。
福山龍馬をカッコよく見せるためのシナリオとお龍さんの面構えが大好きです。

先日 寂(さび)れたあるキャンプ地を観て 私の中学1年の時の担任を思い出した。

私の中学1年生の時の担任は、大学を卒業と同時に 私たちの中学校へ赴任してきた先生で 
非常に先生らしくない風変わりな先生であった。 

彼は若かったこともあり 子供の我々と一緒に遊び スポーツも勉強も 悪さもした。
そんな 友達感覚で付き合った 先生である。 

彼は福山雅治に似た すらっとして背が高く スポーツ万能で 喧嘩がめっぽう強く
赴任当時は父兄にも 特に母親達や女生徒達に人気があったが 彼の粗暴で粗野で喧嘩っ早い性格のため 
周囲の先生達や生徒たちから不人気となっていった。

現在の生徒指導から見れば 絶対と断言できるほど 5分の一回の割合で 暴力教師として 
教育委員会に訴えられるような先生であった。

例えば男子生徒だけの授業の時は 他の教室と離れた教室で行われたせいか 勉強をやめて 
馬乗りや 蹴りうまなどして 授業そっちのけで 先生が先頭を切って思いっきり遊んだ。

こんな先生が住んでた場所が 福山雅治の実家の近所で 彼の家に泊りがけで遊びにいったとき 
稲佐のクリーニング屋のオヤジから 「あいつの子分か?」と 尋ねられて
「オイタチの先生です」 と答えると 「空手の先生か」と 訪ねられたので 
「学校の先生です」 と答えたら 「あの不良がセンセーィ~~~」と異常なほど驚かれた。 

それほど喧嘩早く 喧嘩が大好きで 近所では悪ガキとして 悪評だったようだ。 
ただいいところは プロも目をつけてたほど野球が非常に上手いのがとりえだったようだ。

その悪ガキの片鱗を私たち生徒の前で見せたエピソードを話すと 
バスの中で先生と同年代ぐらいの若い男女のグループが ワイワイガヤガヤと 
楽しそうに 乗り込んできた時 静かにしろとの注意のフレーズが
こんな フレーズだったのを鮮明に覚えている。

それは 「静かにせろ! パンツいっちょにスッゾ!」 であった。 
バスの中はとたんにシ~~~ンとなったが。
我々生徒たちは 恥ずかしさだけがさきにたち みんなで苦笑いをしたものだった。

そして 最後のオチが 隣の私をさして 「こいつが言うたとバイ!」 と 
満員の乗客に向かって叫んだのです。 
私は 子供ながら恥ずかしくて 思いっきり下を向いてしまった。

夏休みを利用して 先生と一緒に 海へ一週間泊まりがけでいったときも
長崎へ帰りのバスの中で 田舎道のデコボコや急発進のため 女子高生が
キャ~~~と悲鳴をあげながら 倒れたとき スカートの中がみえてしまったのをネタにして 
生徒の我々に 「見たか 見たか?」 と聞くのです。 
私は恥ずかしくて 「何(ナン)ば?ね」 と とぼけてみせた。 

小さな温泉街でバス待ちをしていたときのエピソードは バスの来る時間が一時間以上もあったので 
「暇つぶしに パチンコをするぞ!」と 我々を連れて行った。
冗談と思ってたら 本気であった。 そしてパチンコ屋に入るのを躊躇(ちゅちょ)してる我々に 
入れと促すのです。 これがはじめてのパチンコの体験であった。

その中で客ともめた時も 先生の合気道のような技で 相手を倒した時もびっくりさせられた。
そんな彼の思想は 喧嘩を売られた 絶対に買え そして絶対に喧嘩に勝まで帰ってくるなであった。
だから あるキャンプ地の地元の悪ガキと喧嘩になったときは嫌だった。

彼らも喧嘩なれしてるせいか まずは小学低学年を使って 我々を罵(ののしら)させ
我々が向かって来たところで大勢の中学生や高校生が突然木陰から現れてボコボコにされた。
それを知った 先生は そのグループの番長らしき高校生を執念で見付け出してボコボコにしてしまった。

こんな破天荒な先生だったから 死ぬ目にも合わされた。
台風が近づく荒れた海の中を泳がされ 荒波のためなかなか岸にたどり着かずに死ぬかと思ったこともあった。
また 海の中を泳いでた ナマズに似た魚を私が 素手で捕まえて 手を刺されたとき
痛がる私を後(しり)目に 男は我慢と促され その魚の毒が回ってぶっ倒れて
病院に担ぎ込まれたこともあった。
地元では ギュギュと呼ばれる 猛毒を持った魚で 地元民から恐れられた魚であった。 

それから 強引で 野球部の監督を引き受けたときは これと思った生徒を他の部に在籍していたのにも
関わらず 強引に引きぬいてくるのである。
私の弟が入学してきたその日に 「わいはマンタの弟か」 と聞くなり 「ハイ」との返事と同時に
「 おいについて来い」と言われ ついて行ったところが 野球部の部室で 本人の同意もなく 
いきなり野球部に入部させられていた。 

そして月日が過ぎ ある漁師町へと赴任するとき 我々に宣言したことは
彼らしい言葉だった。 
漁師町は荒くれ者が多いから 舐められないために最初から 怖い先生と印象づけるため 
「打って打っつらかす。」であった。
ましゃもよく使うフレーズだから 福山フアンには意味がわかると思う。
そして この中学の卒業生から聴いた話では 本当に暴力教師として 鳴らした。

同窓会でいつも使うフレーズが
「初めて受け持った全員の生徒の名前と顔は一生忘れられない。」であった。

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今日 徒然に感じたこと
今日 徒然に感じたこと を 文章に落としてみました。

やっと 日曜日 お休みが 取れました。
 といっても 朝早くから洗濯して 一雨きそうな空模様だったので コインランドリーに行き 
見ず知らずの若い奥様と軽く会話を楽しみ それから10時から5時まで パソコンに向かい 
来年に向けての企画と企業への提案を練ってましたけど。 

これからのことを考えるとフット不安になることがあります。
まぁ でたとこ勝負と 思ってますが 私の周囲には海千山千ばかりの味方のアドバイスと 
私のために真剣に問題解決してくれる人達が多いので 感謝でいっぱいです。

仕事を終えて ガソリンの給油のため立ち寄った スタンドで 雑誌を手にとって読んでたら 
ましゃがルーマニアに エイズ患者を お見舞いにいったようですね 冒頭だけ読んだので 
それくらいしか わかりませんが
多忙の中にも 自分の体を休めるわけでもなく 人のお役に立つために動いてるのかと思うと 
自分の忙しさを嘆いてた ころからと比べると 成長したんだなぁ と いたく感動しました。

僕 忙しい と逃げてばかりいる人は 人は何も頼まなくなり 
他人からの信用・信頼がなくなるのを 見てきました。

さんまの恋のから騒ぎで 男性経験がないことをカミングアウトして 話題の中心になった 
小林麻央ちょんも 年貢の納めどころとなった。
隠し子もいる 恋多き男 海老蔵が選んだ女性 麻央ちょん。

 これが 一般的な男性で 女好きで 家庭を顧みない 勝手気ままな 男性とわかってれば 
通常 一般的な女性なら 結婚は考えられないが 麻央ちょんにも 打算と周囲の思惑が 
強く働いて 両人をその気にさせたようだ。 

3年後に 修羅場が来るか 3年前に修羅場を迎えるかで お二人の 恋愛の本気度がみえてくる。
なぜなら 男女の恋の賞味期限は 3年なのだから。
と週刊誌記者の真似事のように 綴ってみました。

本当は何が言いたいかといいますと 海老蔵の 女性遍歴や 隠し子問題を報道しないのは、 
披露宴から締め出しを食わないため 各社 は一切触れないことに 決めたのです。

これが芸能ニュースだから 問題は小さいが 政治・経済の問題で 一切触れてはならない 
という 談合が 日本のマスコミにはまかり通ってることが怖いのです。

だから 本当のことを 真実を ぶちまけたいなら 談合など一切ない 
外人記者クラブで発表することを オススメします。

今日の龍馬伝 
薩摩と長州を結びつけたのは グラバーでもなく ましてや 龍馬でもありません
西郷どんです。
幕府から薩摩を守るため 地政学上 長州が薩摩の防波堤になってもらわなければ
なりません そのためには 長州を動かしてる人物達に信頼されてる 龍馬は 西郷に取っては 
うってつけの人材だったのです。

だから 西郷の肝入りで起業された 亀山社中の役目は グラバーや他の武器商人から 
武器弾薬を買って 長州に与えることでした。 
この通関業務には貿易業務に精通した小曽根家が 暗躍してたかもしれません。

そうです。 このアイデアを考え出したのは グラバーでもなく龍馬でもありません。
近年島津家から 公開された 「玉里島津家文書」の中から 下関で桂小五郎に会って 
その反応を薩摩藩に宛てた 龍馬の手紙が 公開されて わかりました。

すると なぜ長州にとっても 渡りに船かといいますと 朝敵とみなされた長州の汚名を 
払拭してくれるのは 薩摩しか いなかったのです。
だから 龍馬は 西郷どんの命を受けて メッセンジャーボーイの役目をしていたのです。

朝敵とみなされてた 長州の汚名を晴らすためには 薩摩と軍事同盟を 例え口約束でも
世間に明らかになっては 桂さん達に取っては 大義名分が立ちません。
 
だから 日本の将来を見据えた 坂本龍馬の説得で 軍事同盟ができた と 明治政府の重鎮としては
マスコミに発表するしかなかったのです。 これが真実です。

これがきっかけで 龍馬は一躍 歴史上の寵児として踊り出てきたのです。
そして 格好の歴史小説の売れっ子主人公となったのです。

こんなことなど 誰でも ジェットコースターに匹敵する 失敗と成功を繰り返して 
惨めな思いをしたり させられたりで 世間の荒波をわたってみれば 
実体験から分かることだと思うのですが いかがでしょうか

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