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星野ジャパン
今回の北京オリンピクでの日本野球を検証してみました。

何故 メダルが取れなかったのか 失敗の その原因は 
何の世界でもそうだが 指導者にある 

何故守備の下手なGG佐藤を 何故ここで調子の悪い岩瀬を使ったのか
何故 エースのダルビッシュを 使わなかったのか 
何故故障者を連れて行ったのか
何故 オリンピック出場を辞退するほどの絶不調で自信がもてない上原を 
お前しかいないと説得して メンバーに入れたのか 

24人という少ないメンバーでやりくりしなければならないのに 

予選を戦ったメンバーに 何故こだわったのか 
これがオレのやり方だでは
何も考えず 策もなく 行き当たりばったり でたとこ勝負の 
そこには戦略や戦術が微塵も見られない 
まるで他国の野球をなめていたとしか 考えようがない

そこには金メダルを絶対に取るぞというみなぎる自信が意気込みが見えてこなかった 
星野ジャパンでした。
結果と原因の因果関係から 
失敗の原因を探ってみました。

1、ペナンのレースじゃあるまいし 短期決戦なのだから 
  予選を戦ったメンバーにこだわらず ここは温情主義を捨てて 
  一番調子の良い選手を中心に選ぶべきであった

2、国際ルールになれるため オリンピックで使うボールになれるためには 
  積極的に国際試合に参加しなければならない

3、今まで予選を戦ってきて悩まされたのは 球審のストライクゾ-ンのばらつきである
  ゆえに ピッチャーにはコーナーを丁寧に突く技巧派ピッチャーではなく
  直球と鋭く変化するボールで勝負するパワーピッチャを選ぶことにこだわるべきだった。

  バッターから見れば ボールをじっくり見極めないと打てない打者よりも 
  初球から積極的に打つバッターを選ぶべきでなかったか
  これも 日本のバッター ピッチャーが戸惑ってる様子を見て も判るように

4、スコアラーへの 指示に対しては各国の選手の調査だけではなく 
  球審の癖 も調査するように指示すべきであった。

5、短期決戦は自分の好みで選ぶのではなく 戦略戦術を練るべきであった
  
  打撃は水物 投手がよければ 打者は打てない 足でかき乱すしかない
  そのためには守備が良く 足が速く バントが上手な選手から
  選んでいくべきだった 温情主義を捨てるべきだった 

6、調子が悪い選手  故障者 コーナーを丁寧に投げ分けるのが生命線である投手には
  今回は選べないことを告げる勇気を持ってもらいたかった。

7、ボールと思って見逃した球をストライクとコールされたり、
 逆にストライクを投げたつもりがボールとされると、
 どう対処していいか分からない選手が多かった。
 
 このことも国際大会で経験してたはずだが だからボールをじっくり見極めないと
 打てない打者よりも 初球から積極的に打つバッターを選ぶべきでなかったか
 これも 日本のバッター ピッチャーが戸惑ってる様子を見て も判るように
 やる気をなくす 

6、そして最後に選手を信じて調子の悪さを度外して 使った
 選手に頼るのではなく 現実を見つめて 問題を見極めれば 
 ここで抑えてくれればという希望的な信じるではなく 
 自信をもっての采配ができなかった。 

すべてはおれの責任として片付けないといけない。そういう大会だから。」

それでは 選手の調子が悪すぎて 私の采配が裏目にでてしまった。
と言いたげな敗戦の言い訳に聞こえてくるのだが。

そして 星野監督は オリンピックを通じて 不安と恐怖の戦いではなかったのでは

短期決戦と国際試合の環境を考慮せず 自分の好きな選手を選んで 
金メダルを捕りに行くのは甘い考えであったことを認識させられた。

といってもらえれば まだ星野ジャパンを擁護することができたのではないでしょうか


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テーマ:北京オリンピック - ジャンル:スポーツ

北京オリンピックでの感動の場面
北京オリンピックも閉幕しましたね。
さびしいですね
あなたの感動の場面は何でしたか

私は 谷本歩実がフランスのドコスに1分26秒 
豪快に内股を一本で決めたときの
彼女が 周囲も気にせず まるで外人の持つ感性のように  
たたみの上を飛び跳ねながら 喜びを体一杯にあらわしてる 
彼女をテレビで見たとき
日本人の喜び方も変わりつつある事を実感させられました。

その後ふと我に返り 日本柔道ははしゃいではいけないのだと自分を戒めたことを
さんまに 告白してたのが 非常に印象的でした。

日本人の心は 不言実行 ものしずかな心 自分を出すのを極力避ける 事を 
美徳とされてきた だから 
体いっぱいに うれしさを表現することを戒められてきた我々の世代から すれば 
なんともうらやましい限りです。
とにかく自己主張がうとましく思われる日本ですから

とにかく はしゃぎすぎて よく怒られたものです。
男というものは・・・・・・・ とね 
男は黙っての高倉健の世界じゃないんだけどさ

テーマ:北京オリンピック - ジャンル:スポーツ

北京オリンピクで学んだこと
北京オリンピクで学んだこと

星野ジャパン 韓国・アメリカに負けてメダルに届かず 残念のきわみです。
韓国野球界はオリンピックのため 野球ボールやストライクゾーンなど
オリンピックのジャッジに合わせてきただけではなく 韓国野球ペナントレースを
8月は休止して まさに韓国野球界総力をあげての勝利の執念なんでしょうね。

また 勝負にこだわるならば 指揮官は非常になることも必要であり 
勝利の執念を持つには温情主義は捨てなければならないことを学ばされた 
オリンピックでの戦でした。

日の丸を背負ってのプレッシャーは、 計り知れないものを感じます。 

そんな中 やりましたね 日本女子ソフトボール アメリカを破っての 悲願の金メダル 

カーラジオを聞きながらの帰宅途中7回の裏 アメリカの攻撃 ワンアウトになったところで 
車を駐車場に入れて 急いで帰宅してテレビを見れば ほんの数分で 
日本女子の勝利でちょうどゲームセットだった。
アメリカの最後のアウトをライブで見たかったのに 残念! 

上野投手の3試合連続413球を投げぬいた勝利の執念は 
何処から生まれたのか 検証してみました。

彼女にも大きな挫折があったのですよね 
体育の授業中の走り高跳び練習中の腰椎(ようつい)骨折3ヶ月の入院生活 
小さい頃から運動神経抜群で 誰にも負けないと自負してた彼女は
奈落のそこに落ちたのでしょうね だけどよみがえった 

人は この世に生を受けた限り 何かを乗り越えねばならないように 
プログラムされて人生を送るそうです 

彼女も大きな大きな挫折を乗り越えた そして 人間的に成長したのです。 

自分ひとりでは勝てない 信頼する仲間がいるからこそ勝てるのだと 
学んだのですよね 

仲間と喜びを分かち合うことがどんなに素晴らしく
満足感を味わえることかを実感したでしょうね

この大きな大きな挫折は 自分自身が何をしたいのか 何を望んでるのか 
何を達成したいのかを 気づかしてもらった 神様からの贈り物だったのですよね 
だから勝利の執念を持つことができたのではないでしょうか

アメリカにソフト留学してたとき アメリカのコーチから 自信がないなら今すぐ 
ピッチャサークルから出ろ と説教されてるのをテレビで見ました。
このことを通して 勝利の執念を植えつけられたのでしょう。

仲間に感謝 そして 日本女子ソフトボール 感動をありがとう 年かな 泣けてきた
勝利の執念を教えてもらった
まだ他にも このチームメートの中には逆境を乗り越えた感動の選手がいるのです。

ショートを守ってた 西山選手は長打でも2塁までしか走れない先天性の心臓疾患を持っていたが
アメリカで交通事故でなくなった14歳の少女の心臓弁を移植して 
思い切って動けるようになり ソフトボールに打ち込むことができるようになった。

手術後も 医者も家族もスポーツをすることには大反対だったが
彼女の思いは強くさらに金メダルを取るまでになったのです。
彼女からも学びました。

夢をあきらめてはならない 執念さえあれば あきらめなければ夢は叶うのだ。
成功の秘訣は成功するまであきらめないこと
目標を達成するため 天から ピンチの顔をしてチャンスはやってくるのです。
 

テーマ:北京オリンピック - ジャンル:スポーツ

何故戦争が起きるのか
何故戦争が起きるのか
 
北京オリンピック開催日を目指してグルジア軍が南オセチアに進攻した。
今世界各地で戦争が起きている 世界の歴史をほじくり返せば どこかで必ずや戦があった。 
 今でも戦争は耐えない。

戦争とはなんぞや と考えれば 即思い出すのが 古典となってる 
クラウゼビッツの戦争論である。

凝縮して戦争論を語れば 戦争は政治の延長であり 外交の一貫である

政治とはばらばらになった大儀名分を一本化することにより
国内の各勢力の内紛を避けるため 各派閥の既得権益を守るためには 
外に敵を作れば 国内は一致団結に至る。 

外交とは自国の既得権益を守るための喧嘩であり 
それが発展することによって
大儀名分を掲げての争いとなり 破壊行為へと発展していく。

クラウゼビッツの戦争論が生まれる要因は ヨーロッパ 中近東 
では民族間の争いが絶えず。
ここに戦争論が確立した要因が出来たのでは

北京オリンピック開催日に
グルジアの南オセチアをめぐってのロシアとグルジアの紛争が起こってしまった
グルジアはNATO(北大西洋条約機構)にとってのロシアの南下政策の防波堤であり

少数民族を有する紛争の火種を持つ国家は民族間の一致団結を図るため外敵を持たなければならない。そこにオセット人が住む南オセチアをグルジアの外敵に仕立て上げる
ロシアはオセチア人を救うための大儀名分の下にグルジアに侵攻する。

何故このように戦争をしなければならないかといえば
NATO(北大西洋条約機構)は資源という既得権益を守らねばならない

NATOとしてはロシアの南下政策から アゼルバイジャンのカスピ海周辺のバクーから
グルジアのトビリシを通ってトルコの地中海側に位置するジェイハンまでの
BTCパイプラインを守らなければならない。

またイスラエルにとってはBTCパイプラインと並走してる天然ガスパイプライン 
BTEパイプラインをロシアの南下政策から死守しなければ 
国家の存亡に関わる。

この歴史的に国家の滅亡を経験したイスラエルは非常な危機意識を持ち
グルジア出身でイスラエル特殊部隊経験者を民間人として送り込み 
民間会社を隠れ蓑にして グルジア軍をロシア軍との戦いを念頭に置いての 
ゲリラ戦のエキスパートに育て上げた。

それはロシアや イランから BTEパイプラインを死守して
イスラエル国家の権益を守らなければならない必要に迫られたからである。

その蔭にはアメリカの意図とする ロシア包囲網が見え隠れしてくるのです。
表立ったロシアに対する アメリカの外交戦略は ポーランドを巻き込んだ 
ミサイル防衛計画 MD網である。

事の顛末は
プーチンのすさまじい資源戦争により世界に影響力を持つロシアを 
アメリカは牽制しなければならなくなったのです。

そしてマスコミを利用した ロシア軍のグルジアでの民間人を巻き込んだ進攻を映像化して
世界に配信して ロシアのイメージを悪化させる アメリカのプロパンガンダが浮き彫りになってくる。

またアメリカは中国に介入してもらいたくないので 北京オリンピク開催日を念頭においての
グルジア軍 の南オセチア進攻となったのでは。

これが世界の趨勢であるが 日本の海域で資源を吸い取られても
竹島を占領されていても 激しい抗議もなく 過去の日本の占領政策をほじくられても 
ただひたすら謝るだけ そして かたくなに ひたすら まじめに平和憲法を守ってる国 
が存在することが世界史において 不思議で珍しいことである事を 
我々は忘れてはならない。 

テーマ:ロシア - ジャンル:海外情報

戦争に振り回されたある兵士の話
画像は現在フィリピンで活躍されてる方のご好意によりブログから許可を得て使用してます。    
ブログのタイトルは“フィリピンの中心で愛をさけぶ”です。
イントラムロス
スペイン人が構築した頑強な城砦 ここイントラムロスでは太平洋戦争で日本軍と米軍との壮絶な戦いの中で民間のフィリピン人達が巻き込まれて犠牲になった場所です。

今日こそは早く返ろう帰ろうと思ってましたが 客が来て今までいました。
もう午後11時 まだ帰れません。

そんな中
戦争に振り回されたある兵士の話を思い出しました。

新聞を読む暇もなく ブログを更新する暇もなく 盆休みも関係なく 
仕事に追われてます。 
ただサラリーマンではないので 自分のペースでできることは 精神的にも楽です。 
そんなんでオリンピクも帰宅途中のカーラジオで聞き テレビも夜中に見てる

今日この頃です。 
そんな状況の中ふと夜中に見たテレビは
戦後63年が経過してNHKでは、夜中に再放送であろと思われる 
日本軍の一兵士たちの南方戦線でアメリカ軍と戦った悲惨な体験が語られていた。

それをみてるとき
アメリカ軍の知られざる特殊部隊経験者の話を思い出した。

この話は大国のエゴによってある人間が共産主義から自由主義を守るという大義名分の下に人殺しのエキスパートとして育てられ ジャングルでの生き抜き方を学び ベトナム戦争を戦い生き抜いたある男の話を物語風にして書いてみました。

彼が学んだ人殺しの方法は 余りにも生々しいので 具体的には書けませんが、 
この話は 私が正確に事実であるかどうか確かめるすべを持たないのであくまでも 
フィクションとして読んでください。

フィリピン一の歓楽街アンヘレスに一昔前 アメリカ軍のスービック基地があったころの話ですが
ラープ(LRRP)という米軍特殊部隊のことを知ってますか?

長距離偵察パトロール(Long Range Reconnaissance patrol )という意味なのでしょう
私はロックンロールが好きで、スービック基地から休暇でマニラを訪れるアメリカ兵と一緒にバカ騒ぎしてたときの出来事ですが、 ある初老の米兵が私に向かってジャップと何度も呼ぶのです。まわりの米兵は関わるなとアドバイスしてくれるのですが、
仲間から浮いた存在である彼は話相手がほしかったのでしょう。
一応喧嘩には自信があったし日本人というプライドを持って向かっていきましたが歯が立ちませんでした。

それからの 血の臭いがしそうな薄気味悪いアメリカインディアンの風貌をした
初老のアメリカ兵は 私に好意的で日本人の戦闘での勇敢さと
機転のよさをとうとうの述べるのです。 

日本人でありながらベトナムの地で多くの日本人が戦闘に傭兵として戦ってたのには
初耳で驚きでした。

さらに彼のベトナムでの戦闘体験は強烈なものでした。
ラオス・カンボジアにいる北ベトナム軍のど真ん中まで忍び込み
発信機を弾薬庫とか司令部付近にまさに忍者のように忍び込んで
取り付けて逃げ帰ってくるのが任務だったのです。

発信機から発せられる電波を頼りに爆撃機が爆弾を落して敵の部隊を殲滅するという作戦です。

志願兵からさらに選抜されて、編成は2人一組で、武器はピアノ線とサバイバルナイフだけ 
装備はバンダナとベトコンが着用するような服装で食料はジャングルで調達する。
まさに野獣のような戦闘訓練と生活を強いられたのです。

ピアノ線で音も立てずに簡単に人を殺せる、身の毛もよだつ、
血の凍るようなすさまじい殺し方まで教えてくれました。サバイバルナイフで
心臓や喉をつけば突けば うめき声を上げて 即死にいたらないそうです。

だけど、だけどですよ、ある内蔵をえぐるように一突きすると音もなく声も立てずに
即死状態になるそうです。

夜陰にまぎれて 敵陣地に忍び込み 音もなく敵兵を殺すときは
この方法が有効的だそうです。 
尋ねもしないのにこれも教えてくれました。

それからソビエト製であるAK47ライフルがジャングル戦にいかに優れてアメリカ製のM16ライフルが欠点だらけかをとつとつと述べ ジャングル戦では接近戦となるので、ショットガンが接近戦に効果的なので、仲間達は子供の頃から使い慣れてるショットガンを家族に頼んで本国から送ってもらい、背中に担いで戦ったそうです。

当時、ラープの存在は、アメリカ陸軍のトップシークレットだったのです。

私は、彼にたった一つだけ質問しました。
貴方は何故死亡率80%以上のラープ(LRRP)で生き残れたのか? 
答えはラッキーだったというのを期待してたら、一言、脚力といったのでした。
そういえば全てのスポーツの基礎も脚力ですよね
ジャングル戦のエキスパートである彼は今でもフィリピン特殊部隊の教官をしてるのだろうか・・・・・・・??????

彼の話し方にはアメリカ軍人が好んで使用するスラング(例えばデインクは敵、チャーリーはベトコン、チョッパーは軍用のヘリコプター、メーデーメーデーは遭難時の発声)を多用して訛りが強くよく聞き取れなかったが聞き取れた範囲内での情報ですが、好奇心の強い私にとってはエキサイティングでおぞましくて新鮮な話でした。

白兵戦で敵兵という人間を殺しまくってきた兵士の話しを読んでもらい、今もベトナムのようにイラクやアフガニスタンでも仕方なく国家防衛という名の下に、テロリズムと戦う人殺しのプロに育っていく善良な市民がいることを認識してもらえれば幸いです。
そして、私のあだ名がリトルジャップになってしまいました。

P.S.彼は他の話をしたくても戦争の話題しかできなく、会話のきっかけ作りが不器用なだけなのです。だから私をジャップと呼び私を自分に振り向かせようとしただけなのです。 




テーマ:生き様 - ジャンル:その他

8月15日は日本の終戦の日
明日8月15日は日本の敗戦が決定した日である。
それは天皇陛下の 耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び で始まる 
玉音放送で始まり
日本の戦争終結宣言を日本国民へ訴えたのです。

何故日本は世界史の中でもまれな強力な天皇制ができたのであろうか
西南戦争で、西郷隆盛というカリスマを有した西郷軍と戦って苦戦した 
山県有朋の発案から 西欧列強の帝国主義と戦わなければならない 
戦意高揚のためにはカリスマの必要性を痛感したのです。 
 
幸い日本の政治体制は大昔から天皇制を中心にして機能してた。

こんなことを考えてると 太平洋戦争は何故起きたのか を考えた時 
時空をさかのぼるうちに幕末まできてしまった。

アヘン戦争で欧米の植民地と化した清国を垣間見た時の幕末の志士たちは、
非常な危機感を持ったのです。 
だから日本が欧米に侵略されてはならずと 欧米の良いところ取り入れて
日本の風土に合った改革を断行したのです。

そんな中 アジア近隣諸国と同盟を結び欧米列強に立ち向かうか 
それともアジアへ侵略戦争を仕掛けるか で西郷と他の政府高官と意見は対立し 
それが西郷の征韓論として歪曲されていったのです。

権力闘争に敗れた西郷は野にくだり日本は欧米列強の
植民地化政策に立ち向かうためアジア近隣諸国を侵略して
領土を拡張して資源を求めて言ったのです。

日露戦争までは日本の軍隊は機能した。
なぜなら軍人のトップ達は野戦を経験してたからです。
だが 日中戦争あたりから 野戦の経験もない軍人達の野望や 
出世の具と化したばかりに 無謀な戦争へと突入していった。

何故無謀かというと 大本営にはインパール作戦に代表されるように 
補給という兵站思想が欠如してた。

武器は旧式 戦争のやり方はソ連軍との戦い方しか知らず 
アメリカ軍との戦い方は研究などされてなかったのです。
だから南方で戦った軍人は戸惑うばかりだったのです。

そして前線と大本営との考えは乖離したうえに 
日本の有能な大本営の官僚たちは日本軍が連合軍に負け続けてることを
国民に隠し続けるだけではなく 勝ち続けてるような虚偽の発表をして 
国民を騙し続けて日本を崩壊へ導いていったのである。

そして現在も 過去の過ちを教訓にするでもなく 日本は同じ過ちを犯してるのです。

欧米列強の軍隊の強さを知り尽くした秀才ぞろいの大本営の軍人 参謀達が何故
無駄な戦を 勝ち目のない戦いをしなければならなかったのだろうか
それは現代も過去も空気という えたいの知れない怪物に支配されてるからです

無謀な戦争をやめようと唱えた山本五十六やマレーの虎山下将軍たちは 
まさに空気を読めない “KY”だったのです。 
だから戦争遂行派の軍人達から KY として排除されたのです。

空気という虚構の中にわが身を置けば 厳しい現実から逃れる事ができる。
だから厳しい現実を突きつける人間はうっとうしい 居心地が悪くなる

そんな人間を排除するには 現実を排除して虚構を絶対化しなければならない
それが 空気を読めない奴として排除もしくは無視されるのである。

現実を見る目を養うこともなく、KYが絶対化されればこの国は滅びる。

まさに歴史が物語ってます。!!!!!


テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

8月のサイレンと私の母
8月のサイレンと私の母
ブログを更新するのも 久々で ご無沙汰してます。

またまた今年も8月9日11時2分の長崎のサイレンを聴きました。
このサイレンを聴くたびに思い出されるのは 原爆投下はもとより
私の母のことを思い出してしまいます。


私の母

私の母も被爆者です。
母と同じ年齢の方も 年月が過ぎ去るとともに 
顔には深い原爆体験とともに年齢を思わせるしわが 深く刻まれています。

今も生きてれば 被爆体験を体験者と一緒に 語り部として 皆様の前に 
顔を露出して被爆体験を お話してたかも知れないと
思って 思い切って 母の写真を載せました。

ピカッと夏の空が光った と 同時に隣にいた友人が 雷かな? 
と窓越しに真夏の空を眺めたときに ものすごい風とともに隣の友人は 
母の目の前から姿を消したそうです。

見つけたときは 表現できないほどの無残な人間と思えない姿で見つかったそうです。

母は分厚い壁越しにいたので 無傷でした。

それからは 帰ってこない知人友人達を姉達と一緒に爆心地の浦上まで探しにいったそうです。 
浦上川には水を求めて多くの人たちがいましたが その人たちも 
次々と亡くなり浦上川は死体の山となっていったそうです。

背中に赤いマントを羽織った人がいると思ったら 見間違いでした 
背中の皮膚が焼け爛れて肉が見えて赤くなってたそうです。
そしてあっちこっちでは 死体を焼く光景が見えて 
ウジがわいて何も施しようがない傷病者や放置された死体の山 

そのなんとも表現できない 臭いとが交差して この世とは思えない断末魔だったそうです。
そんな母も私たちが子供のときに 原爆が原因かどうかはわかりませんが
あの世とこの世を行き来しました。

母が私たち兄弟の前から いなくなる ということが 
子供だったからでしょうか 想像できませんでした。 

だから医者がご臨終です と父に告げたときも 
死んだなどとは思えず ただベッドの横で弟とともに
立ちずさんでたものでした。

叔父が私に 母を呼び戻せというのです。 
何のことか最初は理解できませんでした。
が いつの間にか 弟と二人で必死になって おかあさん おかあさん おかあさん
と何度も 何度も 叫んでました。

そしたら 返事したのです。 医者は奇跡が起きたと つぶやいてたのが印象的でした。
それからが大変でした あの世と この世を混同して 話すのです。

だれそれさんたちが お見舞いの来た と話せば 
母の姉が 「みんな 死んだもんばかいタイ」 

それからです 今まで被爆体験を話さなかった母が 私たちに語るようになったのです。

それから 近所の母と仲良かったおばさんが 22歳になった子供を 白血病で亡くしたとき
母に 半狂乱になって 泣き叫びながら語ってました。

何であの時(原爆が投下された翌日)乳飲み子だった娘を背中におんぶして 
浦上まで親戚を探しに言ったのだろうか 
娘を 殺したのは私だと泣き叫んでたのが

私は、今でも幼い子供ながら 脳裏に焼きついて離れません 
これを書きながら また当時を思い出して 泣けてきました。 

そんなときも 戦争が悪いんだ とか 原爆を落とした人たちが悪いとか 
アメリカが悪いとか 言ってたと記憶がありません。

日本人は憎しみを超えて 戦争の悲惨さを語り継ぎ 
他国のように政治的に利用して
人民を国民を民族をコントロールするでもなく 

平和憲法を持った国は珍しいのかも知れないですね。



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