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朝青龍問題
朝青龍問題について

朝青龍の粘り勝ちか
朝青龍の精神的病気は、またもや仮病ではないかとの疑いがもたれている。
精神的な病をあたかも持ってるような振りをして、相撲協会との軋轢から 故郷 
モンゴルへ帰りたっかたのではないだろうか。 

日本の報道を鵜呑みにすれば、彼は自分がしでかした問題を見つめようともせず、
子供がだだをこねているだけにしか見えず、逃げることしか考えてない朝青龍だと
解釈してしまうのです。

モンゴルから来て日本の文化になじもうと苦労しながら相撲道を学んでる朝青龍を含めて
モンゴル人力士達のためにも 私はあえて日本人とモンゴル人の比較文化論はさけることにします。

疑問に思うのは何故診察医がめまぐるしく変わったのかです。
精神病に詳しい先生によると「解離性障害」ってのは、感情のコントロールが効かなくなる状態のことであって、昔でいえば女性がかかるヒステリー症状のことだそうです。
それは、「無意識」に原因があるとのことで、もしわざと意識的に先生を騙そうとしてるのであれば、仮病ということになる。

つまりモンゴル航空会社に予約と解約をとり続けてたり、

モンゴル空港に着くなり、自分から意識的に早く降りようとしたりで、

これは「意識的」なものであって、「無意識」な行動であるとはとうてい思えません。

朝青龍の診察医も次々と変わり、精神科の診断名も
「神経衰弱状態、抑うつ状態」から「急性ストレスし障害」になり「解離性障害」の「昏迷」状態という診断に診察医ごとにころころと変わりました。
先生に言わせれば。「昏迷」というのは、もうろとして外界の認識もできずコミュニケーションも取れない状態だそうである。
しかし成田での行動や飛行機内の行動から判断すると「昏迷」とは思えない。
また、診察医ごとに、なぜ短期間のうちに、いろんな診断名がついてしまったのか詳しい先生に尋ねてみると
 その理由は、診察医ごとに、朝青龍が違った症状をまたは違った行動や態度・言動を見せているからではないかと想像できるそうです。
 だから 診察した3人の医師に、同じ症状を見せ、同じ態度・行動・言動をとっているのであれば、同じ診断名になるであろうとのことです。

すると仮病ですねと断定した質問をすると
精神医学においては、「患者さんの訴え」がとても重要になるそうです。

 ですから、患者から「苦しい」とか「つらい」つまり「精神的に調子が良くないです」といわれれば、特にはっきりとした異常がみられなくても、患者さんが苦しんでいるのであれば、それに共感して、治療を施していくのが、精神科医の使命であることから診断名をつけなければならないとのことでした。

ようするに 鞭打ち症状と同じで自己申告であるということだと理解しました。

だから貴方は仮病ですとか正常ですとかは言ってはいけないそうです
そんなことを言えば治療行為とはならないからだそうです。

世間一般報道されてるように 仮病なのでは?と疑われてるのです。
が真意は 判らないので お医者さんの想像でしか 判断できないのが
真相だと思います。




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高校野球から理解できる日本人の本音と建前をつかさどる意識構造
高校野球から理解できる日本人の本音と建前をつかさどる意識構造
旧態前たる高校野球連盟

他国の農業と日本型の農業と比較してみれば日本人の構造的行動規範がうかがいしれるのです。
東南アジアなどでは、米は年3回取れるから自分の好きな時期に適当にもみをまけばよい。
アラブでの農業は麦をばら撒いた後は稔った頃に戻って来て、適当に個人・個人のスケジュールに合わせて刈り取ればいいのである。

千数百年前から日本の稲作は春夏秋冬という季節のローテーションを通じて梅雨時期の田植えから秋の稲の刈り入れまで、スケジュール通り行わなければならない状況へと追い込まれたため、皆が同じ行動をとらなければ稲作ができずに餓死する状況となり、日本人は「小異を捨てて大同につく」という指針を行動規範としなければならなかった。

すなわち[連帯責任]という絶対的規範を宗教の戒律のように律儀に守らせなければ稲の刈り取りが不可能となるのです。

だから日本では、 アラブと違い、独裁者がいなくても同一方向に進むように訓練されてきたのです。
皆と違う意見を唱え、行動すれば人間性を否定され、そして村八部になることを意味することになり、それは餓死へと繋がったのですから。
このように千数百年前からこのように「村落共同体」維持が必要不可欠であると意識付けられみんなと同じでなければならないと訓練されてきたのです。
何度も言いますがこの伝統は太古の昔から日本では、人々に受け継がれてきたのです。 

昔も今も、今は小中高校生の間で「空気を読めない」は、「周りと協調性がない、あるいは持とうとしない」とほぼ同義語となり、「読めない」子は周りの子から排除されるのです。

良きにつけ悪しきにつけ「村落共同体的協調性」が受け継がれ、空気の読めないやつは仲間から排除されたりしているのが現状です。 周囲が間違っていても、その場の空気に従い同一行動をとらなければ村八分になるのです。
だから皆と同じでなければならないという悪しき意識的慣習が遠い昔から続いてるのです。
年月が経ちあのときのことを振り返ったとき、何故あんなことをしたのだろうと思い起こしたときに必ず言われる言葉が 「あの時はそういう空気だったから仕方がなかったんだよ。」と回顧されるのです。

広陵の監督は球審に対して抗議したくても個人レベルで責任を問われるのではなく連帯責任という形を背負わされるのです。

だから[連帯責任]という絶対化された規範のために身動きできない日本人の意識構造を形成してるのです。

組織を維持するためには何もしてはいけない、波風を立ててはいけない、何をするのかなど考えてはいけない。だから何も言わせない、何もさせない 他人と違うことをしてはいけないが 高野連の考えとなっていくのです。 
一昔前の年功序列を規範とした会社組織を研究してみれば判ると思います。

the end

テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

高校野球から理解できる日本人の本音と建前をつかさどる意識構造
高校野球から理解できる日本人の本音と建前をつかさどる意識構造
旧態前たる高校野球連盟


組織改革ではなく組織維持のために奔走してる高野連、だから問題が発生しても解決できずに既得権益を守る集団と化してる。
野球人である前に、人間であれ。 人間であるからミスジャッジもする。
大本営高野連という独裁者が言論統制をしくように、批判をさせない高野連。
教育者であるなら、人間であるなら、人の話も聞こうではないか
野球の特待制度と無縁の公立進学校が優勝すれば 高野連の考えに間違いはなかったと宣伝したかったのではと疑われないためにも、
「高野連の陰謀がそこにはあった」などの記事が週刊誌をにぎわす前にでも、組織のルールーを明文化して、言論の自由というルールを守るための番人のトップとして君臨してもらいたいものだ。

では何故組織を維持するための高野連と野球部を守るためには高校野球指導者は意見を言いたくてもいえない「その場の空気」が生まれてしまったのだろうか。

それは高野連の体質から見られる千数百年脈々と受け継がれてきた、伝統的農耕民族日本人の生き方全般が浮き彫りにされてくるのです。

to be continued

テーマ:高校生 - ジャンル:学校・教育

高校野球連盟から理解できる日本人の本音と建前をつかさどる意識構造
高校野球連盟から理解できる日本人の本音と建前をつかさどる意識構造
旧態前たる高校野球連盟


今年の夏の甲子園高校野球決勝戦で、またドラマがあった。


第89回全国高校野球選手権大会で準優勝した広島・広陵の中井哲之監督は23日、
 決勝の佐賀北戦後、審判の判定に不満を漏らしたことに対し、日本高校野球連盟から
 「審判は絶対的で、不満を言うのは好ましくない」などと注意を受けたことを明らかにした。
 八回1死満塁の場面でエース野村が投げたカウント1―3からの低めの速球がボールと
 なり、押し出し四球。その後、逆転満塁本塁打を浴びた。この場面以外のストライク、
 ボールの判定も含め、中井監督は報道陣に「おかしい。ビデオで見れば分かる」などと
 審判を批判した。
 宿舎で取材に応じた中井監督は「(審判批判は)いけないことと分かっていたが、選手に
 言わせるわけにはいかないと思ったので、あえて自分が言った」と話した。


佐賀北高校の完全ホームグランドと化した異様な雰囲気に飲み込まれたかのような球審のジャッジである。8回の裏佐賀北高校の攻撃 ワンアウト満塁1ストライク3ボールから
広陵高校のピッチャーが自信を持って投げた球は、誰が見てもストライクだった。
しかしボールとの無常な判定、佐賀北高校を応援してた我々も「うそだろう」と絶句してしまった。

打者の立場から見たら、1-3のカウントだから きわどいコースに投げこめれる球は見送ればいい そこへすばらしいストライクのコースをついた球種に呆然とバッターボックスにたたずみ、見逃してしまったというのが実情ではないだろうか。
しかしボールとの判定、「もうけた」と思ってもおかしくない判定だ。

この判定に対しての球審の説明は、キャッチャーのグローブが下に動いたからとの事
そこでこの球審に不信感を持ったのは私だけではあるまい。

桂等球審は8回の押し出し四球となったボール球について、き然とした
姿勢で説明した。「低いと思った。ミットが下から上に動いていた。ボール、
ストライクは私の責任。(判定にも)バラつきはなかった。あれは低かった」。
とのコメントを発表してる。

確かにキャッチヤーの技術として、キャッチしたグローブをスライドさせて如何にストライクに見せるかも技術のうちではあるが
キャッチャーのグローブの動きを参考にしてジャッジをするのかと、球筋を冷静沈着な目で見る能力がないのかと思わせる発言である。

そして後は広陵のピッチャーの心の動きであるが、やはりあの魔球がボールと判定されれば後は球審に対しての不信感が募るばかりである
どこに投げてもボールと判定されそうで、ついつい腕の振りも小さくなり、スライダーを低めに投げるつもりが高めに棒球を投げてしまったのであろう。
そして打った本人もびっくりする満塁逆転ホームランとなったのである。

運も実力の内を絵に描いたような勝ち方であったのは言うまでもない。

高野連の考えが高校野球は教育の一貫であるのであれば、高校野球のあり方であるルールを明文化してもらいたい。そして現場である高校野球指導者の意見を聞き、参考にしてもらいたい。彼らのルールは高野連という[絶対化]されたものに対して批判してはならず、黒でも白といわれれば、それに従わねばならず。審判のミスジャッジにも異論を唱えることができないような「その場の空気」を作り上げてる。
 
to be continued

テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

英雄伝説 坂本龍馬
英雄伝説坂本龍馬
薩長同盟からみた人間と宗教

何故、後世の人々が今でも不可解と思ってる薩長同盟が成立したのか日本人の宗教観から掘り下げて解明を試みてみました。

そこでわかりやすいように国際社会と日本社会を比較検討してみました。
世界の宗教の常識は、神はただ一人だけであるから、個人間の話し合いにおいて、絶対的な神様との契約が成立するのです。 だから個人間の契約とは、当事者同士でお互いの自己主張を徹底して行い相互譲ることなく、打算の中で取引を行い、どこで譲れば当方に優利に働くのかの本当の意味の粘り強い対話をしているのです。

何を言いたいのかというと、外国人との折衝では、一歩譲れば相手が一歩踏み出してくる慣習の中では双方が徹底的な自己主張を行い妥協点を相互が探りあい、見つけるのです。
だから神様と個人個人が約束した契約を守るためには、必ず明文化し、文章化して自分達の絶対的な神様との契約を守ってるのかどうかを常に相互確認しなければならないのです。

薩長同盟 龍馬の裏書

その場で薩長同盟で約束されたことを明文化されなかったので木戸こと桂小五郎が文章化して手打ち人である龍馬に証人としての証しを求めたのがこの写真の裏書である。
内容は:表に御記し成され候六条は、小松帯刀、西郷隆盛、両氏及び老兄(桂小五郎)、龍(龍馬)等もご同席にて談論せし所にて、すこしも相違なく候、後来といえども決して変わり候事これ無くは、神明の知るところに御座候。2月5日

この内容に非常に興味深い、日本教徒らしい言葉が2ヶ所ある。
1ヶ所は 「神明の知るところに御座候」である。
多神教をつかさどる日本は、人間同士のお互いの関係でその時、その場で話合われたことが絶対となり、その証人としてヨロズノの神様やお釈迦様、または天地神明と名を変えて誓うのです。そこには契約という概念は無く話し合いという絶対的なものが生まれるのです。 それが人間教を信ずる日本教徒なのです。

もう1ヶ所は 「談論せし所にて、すこしも相違なく候」薩長同盟は当事者同士では密約などという概念はなく、話し合い絶対なのだから
その場で明文化されず、文章化されず あとから同じ日本教徒の証人である龍馬に裏書を長州の木戸孝允が承認してもらいたかったのです。
もし木戸が、その場で文章にして 薩摩藩に署名捺印を求めてたら この話し合いも破談になってたであろう。なぜなら 同じ人間同士である俺達を信用できないのかと憤慨されるのが落ちであるから。

だからこの犬猿の中である薩摩長州の手打ちは、相互信頼の置ける人間教徒の下で説得されて行われるのが必然であり 長州に近い中岡信太郎ではなく、両藩に中立と認められた人間味あふれる人間教徒である坂本龍馬が選ばれるのには相互対立極に立つ組織にとっては当然、妥当であると了承されたのである。

「小異を捨て大同につく」などという、みんなの意見が同じならそれに従うなどの行動指針を規範にしてる日本教徒達だから薩摩藩士たちや長州藩士たちにも理解されて不可能が可能となった薩長同盟なのです。

この日本人の精神構造である宗教観は、外国人である、グラバーやパークスには理解できなかったであろう。日本に来日した宣教師達にも理解できなかったのですから。
だから決して幕末の志士たちは、外国人をあやつっても、あやつられることは無かったのです。


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