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戦略的互恵関係という虚構に乗っかってる日中交流
P1090299.jpg
今 中国側から いろんな日中交流がキャンセルされてますよね
私も 若い頃 長崎市主催の青年の翼に応募して 中国を訪問する予定でしたが・・・・・・
大阪の橋本知事も中国側から上海万博に招待されてましたが
いきなりの中国側からのドタキャンでしたね 

それに対するコメントは 
 橋下知事は19日午後、「(中国への信頼はなくなった?)大いになくなりましたね。
それこそ(信頼度は)マイナス2万点ですよ」と

ぶぜんとていましたね。 東京都知事も同じですが こういう風にはっきりと自分の立ち位置を示し、
自分の意見を述べ はっきりと物事を決断し 行動に移す人を 中国は嫌がるのです。

管直人がどういう政権かを中国人船長に海保の巡視艇に追突させて尖閣諸島でどう出るかを 
試してるなどの生易しいものではありません。
最初から 諜報機関を通して 管直人を分析しており その分析にのっとって 
冷静に シュクシュクと中国漁船を尖兵として利用して 狙い通りの中国が勝手に決めた
第一列島線を引いて 既成事実を作ることに専念 してるのです。

もう一度言います。 中国は管直人を試してるなどの生易しいものではありません。
中国が海洋国家として生きる戦略を立て 航空母艦の建造に着手し 
シュクシュクとシーレーン防衛のための実行に うつしてるだけなのです。
九州から沖縄 台湾 フィリピン ボルネオを指すラインを実効支配する計画を立て 
本気で実現させようとしてるのです。

そのためには最初の行動が尖閣諸島を実効支配することです。  
何もできない 何も文句が言えない 何かにつけて責任を放棄する 気の弱い管政権のうちに 
さっさと既成事実を作っておきたいのです。

各国が通貨戦争でやっきになって 各国が自国の経済防衛のため保護貿易に走り出すのは
時間の問題であり 各国の足並みがバラバラになりIMFなどが崩壊したところで
台湾へ中国は侵攻するというシナリオが出来上がってるはずです。

戦争を避けるためには 各国が保護貿易に走らないようにしなければなりません。
第一 第二列島線上にある国を 日本がリーダーシップをとってまとめていかなければなりません。 
ネックは大東亜共栄圏の再来とされて日本を孤立化させて この計画をつぶす国が出てくることです。
それは アメリカと中国です。

ただ悲しいかな 国際協調が崩れだすと 世界経済は恐慌へと発展して
行く着く先は 戦争しかありません。過去の歴史がもの物語ったています。 
これを飛躍の論理とかたずけられそうなのガ 怖いです。
なぜなら戦争に対する対策を立てなかったらいざ我が国を侵略された時 何もできないからです。
これが出来上がると 第二列島線 ラインを占領して ハワイを起点にして太平洋をアメリカと
2等分しようと考えています。

中国人は やかましく自己主張をする人間を嫌うのです。
私も その昔 若かりし頃 長崎から青年の翼という日中友好のための交流に参加を申し込んだことがあります。

当時の中国は日本人には不人気で長崎市は参加する人集めに大変でした。
なぜなら 文化大革命が吹き荒れた後で 毛沢東が弱ったところで  
毛沢東の奥さん 江青を中心にした四人組の権力闘争が吹き荒れており 
それを毛沢東の隠し子だった華国鋒が主席として毛沢東の力を借りて 
四人組の逮捕に至ったように そのころの中国は政情不安定の国でした。

  だから日本人にとっては アメリカ ヨーロッパなどと比べれば観光としては、
なんの魅力もありませんでした。
それに参加しようとした際の面接で 私に面接官が質問してきました。
「誰に会いたいか?」 
私は「 ハイ小平です。」 
面接官 「誰だね その小平とは? みんなは華国鋒に会いたいと言ってるが」 

それから先は  面接官の横に座っていた  
目付きの悪い濃紺のスーツを着てた男に執拗なほど私は 質問攻めに会いました。

 公安「君はなぜ誰も知らない 誰も興味を持たない 何度も失脚した小平に会いたいのか?」

私は 「それは 毛沢東亡き後 中国共産党の実権を握るのは 華国鋒でもなく 
    四人組でもなく 小平だと思ってるからです。」

公安 「なぜ そんなことが断言できるのか?」 

私は「小平は 中国解放人民軍の首脳と信頼関係を築いてるからです。」

公安「君は文化大革命を君の視点ではどんなふうに捉えてるのか?」

私は「毛沢東が 劉少奇などの反対派を追い落とすための権力闘争であると 私は思ってます。」 

公安「ジャー君にとっての紅衛兵とは何だね」

私は 「毛沢東の権力闘争に 何も知らない我々のような学生を紅衛兵という名のもとに
    組織させて 利用してるだけだと思ってます。 何も難しく考えたことはありません。」

公安 「そんな情報をどこから手に入れたのか」 

私は「新聞や週刊誌からです」

公安「そんなことを マスコミは報道したことがナイ 誰が君に教えたのだ」  

私は「 誰からも教えてもらってませんよ。 新聞発表の行間を読み取って 勝手に思ってるだけですよ。
   ジャ~~私から質問しますけど 日本の新聞の毛沢東賛美をどのように受け取られてます。」  

  無言 が続いたあと 

公安「中国はどこに行きたい? みんなは万里の長城に行きたいと言ってるが」 

私は「朝市を見学して出来れば 市場で買い物をしたい。 中国公安抜きで 単独行動をしてみたい。 
   それがマスコミが伝えない中国を知る方法だからです。」

ということで 不人気で人集めに大変だった行政を見ていて絶対に行けると確信してた私の期待は
見事に裏切られて 青年の翼に参加させてもらえなかった。
そして 私の友人は 中国で一悶着起こして帰国した。

友人いわく 中国側の日本人を受け入れる体制が 完全に整ってなく それに対して
いうべき事を言ってたら 中国政府と口論となり 友人は日本の行政側からストップをかけられ 
行動を規制された。 

そして 中国政府の受け入れ体制の不備を ただ わかりやすく 
説いたことに対して日本の行政側は 自分の責任に及ばないよう配慮するため 
中国政府に謝ってる。 

という図式が出来上がってしまったのです。
なんか当時の日本の行政と管直人政権を同じに見えてきません。


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テーマ:中国問題 - ジャンル:政治・経済

ある教師との思い出
普賢
尾根
フェリー

ドラマ龍馬伝が毎週楽しみです。
福山龍馬をカッコよく見せるためのシナリオとお龍さんの面構えが大好きです。

先日 寂(さび)れたあるキャンプ地を観て 私の中学1年の時の担任を思い出した。

私の中学1年生の時の担任は、大学を卒業と同時に 私たちの中学校へ赴任してきた先生で 
非常に先生らしくない風変わりな先生であった。 

彼は若かったこともあり 子供の我々と一緒に遊び スポーツも勉強も 悪さもした。
そんな 友達感覚で付き合った 先生である。 

彼は福山雅治に似た すらっとして背が高く スポーツ万能で 喧嘩がめっぽう強く
赴任当時は父兄にも 特に母親達や女生徒達に人気があったが 彼の粗暴で粗野で喧嘩っ早い性格のため 
周囲の先生達や生徒たちから不人気となっていった。

現在の生徒指導から見れば 絶対と断言できるほど 5分の一回の割合で 暴力教師として 
教育委員会に訴えられるような先生であった。

例えば男子生徒だけの授業の時は 他の教室と離れた教室で行われたせいか 勉強をやめて 
馬乗りや 蹴りうまなどして 授業そっちのけで 先生が先頭を切って思いっきり遊んだ。

こんな先生が住んでた場所が 福山雅治の実家の近所で 彼の家に泊りがけで遊びにいったとき 
稲佐のクリーニング屋のオヤジから 「あいつの子分か?」と 尋ねられて
「オイタチの先生です」 と答えると 「空手の先生か」と 訪ねられたので 
「学校の先生です」 と答えたら 「あの不良がセンセーィ~~~」と異常なほど驚かれた。 

それほど喧嘩早く 喧嘩が大好きで 近所では悪ガキとして 悪評だったようだ。 
ただいいところは プロも目をつけてたほど野球が非常に上手いのがとりえだったようだ。

その悪ガキの片鱗を私たち生徒の前で見せたエピソードを話すと 
バスの中で先生と同年代ぐらいの若い男女のグループが ワイワイガヤガヤと 
楽しそうに 乗り込んできた時 静かにしろとの注意のフレーズが
こんな フレーズだったのを鮮明に覚えている。

それは 「静かにせろ! パンツいっちょにスッゾ!」 であった。 
バスの中はとたんにシ~~~ンとなったが。
我々生徒たちは 恥ずかしさだけがさきにたち みんなで苦笑いをしたものだった。

そして 最後のオチが 隣の私をさして 「こいつが言うたとバイ!」 と 
満員の乗客に向かって叫んだのです。 
私は 子供ながら恥ずかしくて 思いっきり下を向いてしまった。

夏休みを利用して 先生と一緒に 海へ一週間泊まりがけでいったときも
長崎へ帰りのバスの中で 田舎道のデコボコや急発進のため 女子高生が
キャ~~~と悲鳴をあげながら 倒れたとき スカートの中がみえてしまったのをネタにして 
生徒の我々に 「見たか 見たか?」 と聞くのです。 
私は恥ずかしくて 「何(ナン)ば?ね」 と とぼけてみせた。 

小さな温泉街でバス待ちをしていたときのエピソードは バスの来る時間が一時間以上もあったので 
「暇つぶしに パチンコをするぞ!」と 我々を連れて行った。
冗談と思ってたら 本気であった。 そしてパチンコ屋に入るのを躊躇(ちゅちょ)してる我々に 
入れと促すのです。 これがはじめてのパチンコの体験であった。

その中で客ともめた時も 先生の合気道のような技で 相手を倒した時もびっくりさせられた。
そんな彼の思想は 喧嘩を売られた 絶対に買え そして絶対に喧嘩に勝まで帰ってくるなであった。
だから あるキャンプ地の地元の悪ガキと喧嘩になったときは嫌だった。

彼らも喧嘩なれしてるせいか まずは小学低学年を使って 我々を罵(ののしら)させ
我々が向かって来たところで大勢の中学生や高校生が突然木陰から現れてボコボコにされた。
それを知った 先生は そのグループの番長らしき高校生を執念で見付け出してボコボコにしてしまった。

こんな破天荒な先生だったから 死ぬ目にも合わされた。
台風が近づく荒れた海の中を泳がされ 荒波のためなかなか岸にたどり着かずに死ぬかと思ったこともあった。
また 海の中を泳いでた ナマズに似た魚を私が 素手で捕まえて 手を刺されたとき
痛がる私を後(しり)目に 男は我慢と促され その魚の毒が回ってぶっ倒れて
病院に担ぎ込まれたこともあった。
地元では ギュギュと呼ばれる 猛毒を持った魚で 地元民から恐れられた魚であった。 

それから 強引で 野球部の監督を引き受けたときは これと思った生徒を他の部に在籍していたのにも
関わらず 強引に引きぬいてくるのである。
私の弟が入学してきたその日に 「わいはマンタの弟か」 と聞くなり 「ハイ」との返事と同時に
「 おいについて来い」と言われ ついて行ったところが 野球部の部室で 本人の同意もなく 
いきなり野球部に入部させられていた。 

そして月日が過ぎ ある漁師町へと赴任するとき 我々に宣言したことは
彼らしい言葉だった。 
漁師町は荒くれ者が多いから 舐められないために最初から 怖い先生と印象づけるため 
「打って打っつらかす。」であった。
ましゃもよく使うフレーズだから 福山フアンには意味がわかると思う。
そして この中学の卒業生から聴いた話では 本当に暴力教師として 鳴らした。

同窓会でいつも使うフレーズが
「初めて受け持った全員の生徒の名前と顔は一生忘れられない。」であった。

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