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父の戦争体験
イデオロギーから戦争が始まるのだろうかと考えてたら 
マルクスレーニンを信奉してた教師を 父と共に思い出した。

寡黙な私の父を 何度か私は 怒らせたことがある。
その数少ないひとつの中の話であるが
私が思想に芽生えた頃、 出会った ある一人の先生の考えに感化(かんか)された私は 
ソビエトを常にほめたたえアメリカを常に罵倒していた。 

そんな 私を見て 堪忍袋の緒が切れたのか 父は烈火(れっか)のごとく怒りだしたのです。
口下手な父を言い負かせることは簡単だったがあまりの剣幕に私は圧倒されてしまっていた。
私を説得する為に それまで私に語ることのなかった父の戦争体験を はじめて語りだしたのだ。

そして父の口下手で まとまりのない話を 思い出しながら まとめてみました。
淡々と私に語った父の無味乾燥な戦争体験を 興味を持って読んでもらうため 
私の脚色も含めて小説風に簡単にまとめてみました。

 私の父はくそ真面目を絵に描いたような 信じられないナイスガイです。
そんな父は 関西にある大手の軍需工場で 軍艦の部品を作る作業に従事しており 
父の夢はお金を貯めて大好きな機械いじりを活かした商売をすることでした。

だから お金を貯めるため 仕事の合間に熟練工となるため夜学に通いながら技術を学び時たま 
勤めてる会社の社長の子供の勉強を見ながら 若いながら相当な多額のカネを貯めたようだ。 

デモ がめつい男ではなかった。 
古郷の甥っ子 姪っ子たちには 正月には都会でしか手に入らない周囲の子供達が
うらやましがる文房具やおもちゃなどを毎年プレゼント として送ってた。 
それが楽しみだった と おじさん おばさんたちから よく私は聞かされた。

そんな私の父の実家にも とうとう赤紙が届き、勤めてた関西の軍需工場の力で希望すれば
軍隊に行かなくてもよかったのだが 真面目な父は お国のためと 故郷に帰り 
入隊のための身体検査を受け 短期の軍事訓練を受けたあと 
故郷の友人たちと一緒に 満州へと送られた。 

そして父の所属する部隊の配属された 位置が 満州とソビエトとの東部国境沿いにある 
川沿いの場所であった。 
父の日課は ソビエトとの国境の守備に従事することであった。

 斥候にたつ時は ソビエト兵の顔が川を隔てて肉眼で見えて 
日本の兵士の中には休戦条約が結ばれてたことを幸いにして 
ソビエト兵と斥候の合間にタバコなどを交換しあってフレンドリーな関係を気づいて 
ソビエト兵から情報を得ようとする豪傑もいたようである。

白兵戦の戦闘訓練の一環として 日本兵同士の 銃剣術の試合が開催される。
部隊の代表としてその試合に出場した父は、 屈指の銃剣術の使い手と他の部隊から恐れられてた 
屈強な兵士と一戦を交えた。  
結果は 見事 父はまぐれで この屈強な兵士から一本取ったのです。 

その試合を観戦してた部隊長から父は認められて 
南方へ転進する陸軍独立混成第49旅団の主力部隊に選抜され 
この旅団へと転属命令が軍からくだされたのです。

 そして 昭和19年3月  アメリカとの戦争が激しくなり 部隊から選抜された父は 
日本軍の防衛ラインとなった サイパン などの島々の一つヤップ島へと 混戦部隊と共に 
満州を離れたのです。 

そして護衛艦と共に船団を組んで台湾に到着したが 父の部隊を乗せた船は 
たまたま故障のため 修理に時間がかかり 出発が遅れて 単独で護衛艦もなくヤップ島へ
移動したのですが みんなの心配をするほどでもなく 島へは 4月24日無事到着して
 父たちは司令部から悲しい知らせを受けたのです。 

先に出発してた 本隊は米海軍の潜水艦に発見されて 護衛艦ともども 
海の藻屑となり全滅していたのです。
そして 一般の兵士達からは主力部隊として迎えられました。

戦争も終わりを迎える頃には 父は司令部付きの通信兵だったので 
刻一刻と前線の島々の守備隊が バンザイ突撃で 玉砕していく情報が 直接伝わってくるのでした。

父を悩ませたのは 島の周りを 隙間なくぐるりと囲んだ米軍艦船からの艦砲射撃と 
B29の編成を組んでの空爆 グラマンからの日本兵を狙った機銃掃射などでした。

父たちにとっては 極寒の中で ソビエト軍と戦うための戦闘訓練を受けてきたので 
まったく違う環境に置かれての戦闘は 戸惑うばかりだったそうです。
フィリピン攻略のためマッカーサーの蛙飛び作戦 の中に ヤップ島は 除外されていました。

米軍がヤップ島に上陸を決行しなかったのは 父の所属する部隊がヤップ島に到着する前に 
戦略上重要な完成されたばかりの飛行場が回復不能なほど米軍によって爆撃されており 
アメリカ海兵隊の上陸作戦の妨げとなるヤップの周囲にある サンゴ礁群が 幸いしたのでした。 

米軍が制海権 制空権を 制圧したため 島々の守備隊は食糧 弾薬・医薬品は 不足してたが 
ヤップでの食糧事情は 他の島よりは いいほうだった。 
司令部付きの通信兵であることも幸いしてたが  炊事班の兵士達により 
タロイモなどが植えられ 他には 島の カエル トカゲ ヘビなどを捕まえて 
タンパク源としていた。
また  椰子の実は 水分を補給するには十分すぎて 飢えや 喉の渇きをしのいでいたようです。 

戦争が終結した情報も 他の兵士達よりいち早く入手することができ 
守備隊の中には英語を流暢に操る兵士もいて そんな兵隊を使って 
守備隊長は 戦闘などもすることなく 米軍は無血上陸してきた。 

またアメリカ軍と 捕虜の扱いについても上手に交渉してたようである。 
ただし アメリカ軍の推定よりも生き残った日本兵は多く 捕虜収容所は満杯となり 
食糧も十分に日本兵の捕虜にまで行き渡らなくなったのです。

 そんな環境に置かれた捕虜生活の中でも 父の捕虜生活は 
割と収容所の出入りが自由で快適であったようだ。
なぜなら 司令部つきの通信兵だった父は 日本軍の情報を持ってると勘違いされて
 情報を引き出そうとした アメリカ軍から厚遇された。

父を通して知ったアメリカ人の優しさは、常に自分の妻と子供の写真を持ち歩き
家族を大事にしていて 父と同年代の若いアメリカ兵は 恋人の写真をいだき
恋人を毎晩想うことでした。 

こんなアメリカ人の人情は鬼畜米兵でないことを 同じ人間であることを 
父を通して知ってからは アメリカは 私の憧れとなったのです。

そして ヤップ島の日本軍の捕虜の扱いとは裏腹に 東部国境沿いに展開してた 
同郷の父の戦友たちの中で 生き残った 仲間達は ソビエト軍の捕虜となり 
アメリカ軍と違い 父の戦友たちはシベリヤへ抑留され 労働家畜として扱われて 
過酷な労働を強いられてきたのです。

その過酷な悲惨な体験を シベリヤから運良く帰還した戦友たちから聞いて 
シベリアで他界した幼友達を 思い なんともやるせない気持ちで 怒り心頭だったようです。
だから父はソビエトが嫌いなのです。

父の戦争の後遺症は アメリカが好きで ソビエトが嫌いになったのです。

そして 父の影響を受けた私は 高校で出会った毛沢東信奉者の私の恩師とは、
常に生徒と担任の交換日誌の中でアメリカナイズされた私と議論ばかりしていました。
しかし それとは裏腹に 私と先生とは彼が他界するまでの長い付き合いとなった。
そんな アメリカが好きな オレを見て級友たちは 笑ってたのを鮮明に覚えています。


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テーマ:雑談。 - ジャンル:ブログ

終戦を向かえて考えた 太平洋戦争を決定した 「その場の空気」
世界恒久平和を願う亀と観音像
鎮魂の鐘
P1060882.jpg
日本にも昔も今もいる独裁者、「その場の空気」という決定権者

この空気に逆らおうものなら 昔は “非国民”と決め付けられ黙らされる。
現代では 空気の読めないヤツ “KY”と決め付けられ黙らされる。

NHKスペシャル 海軍400時間の証言を視聴して 
作戦の立案という立場に居られた方たちの貴重な証言からわかったことは

神風特別攻撃隊を組織して 決行させたのも 「その場の空気」であり 
志願という名目で 軍令部という その組織を守るために 長い年月の激しい訓練を通して育てた 
経験豊富な貴重なパイロット達を 新型兵器として 消耗品として 自爆攻撃させていった愚行 
を軍令部が作り上げた。 

その空気を熟成させた人が大西瀧次郎中将であろう。

また 国際法を無視した 捕虜の殺害も 海軍・陸軍をつかさどる 
最高決定機関 軍令部の空気によって決定された。 
しかし 前線の司令官たちは 疑心暗鬼になり 
文章で命令を受けたいと 申し出るが 軍令部から無視された。

現場である戦いの最前線では 妄想には取り付かれずに事実を事実と
受け取ることができたので その場の空気に 流されることはなかった。
 
我々日本人の意識をつかさどるのは その大事な重要な決定を するのは 
いつも誰かといえば 「その場のそのときの空気」なのです。

NHKスペシャル 海軍400時間この証言から わかったことは 
その場の空気で決定された事を実行する人 いわゆる その空気を熟成する人は、
組織を守るための目的で実行される。 

そして 実情にそぐわなくなると 実態が虚構となり その場の空気が
事実を事実として 把握できなくなり 虚構という妄想に取り付かれてしまう。

その空気を熟成する組織を GHQは利用して 日本の占領政策を成功させて 
日本国民を洗脳した。 GHQは占領政策には天皇が必要と悟った。 

そうすると天皇の戦犯を避けるために第2復員省を組織して 
海軍の組織を守るため 戦争責任は陸軍のトップであり
捕虜殺害は 前線の司令官の独断で実行したように見せかけるため 
のスケープゴートとしてのプランがなぜだか 終戦を迎えたときの海軍大臣であった
米内光政とGHQのボナ・フェラーズの間で骨子は出来上がっていたようだ。 

米内光政は戦犯で東京裁判にかけられることもなく 巣鴨に拘束すらされることなく
GHQの闇の内部に深く食い込んでいった。
 なぜGHQは米内光政を信頼 信用したのだろうか 不思議だ!

太平洋戦争のころはわからないという人には、
小泉内閣の郵政民営化選挙を思い出してもらいたい。

構造改革なくして 成長なし 自民党をぶっ壊す などキャッチフレーズを掲げて

「郵政民営化 善 郵政官営化 悪」 という図式を 我々は理解せず 
ただ言われるがまま そして 意義を唱える人は 改革を後退させる人
という図式だったが。

よく考えれば なぜ郵政民営化がいいのか わからずに 投票したのですよね!

いわゆる 宣伝工作に才たけた組織が マスメディアを使って 
「郵政民営化 善 郵政官営化 悪」 という 空気を作っていったのです。

その場の空気とは 何かと考えさせない!し 意義を唱えれば 
改革反対者として人格まで否定される。

日本の国民が こつこつと貯めた 虎の子の貯金と簡易保険 350兆円が
郵政民営化によって アメリカへと吸い上げられる構造ができあがってるそうです。

あなたはこんな経験したこと ありませんか
現場では絶対おかしい 不可能 理不尽 と実体験で感じても
実情を知らない トップが 決定したことには 逆らえない。

あのときなぜ決定したのかと聞けば あの時は仕方なかったのさ 
その場の空気が ああしたんだよ という 経験をした人なら 理解できるでしょう。


「空気」という日本人の絶対的規範を発見された 山本七平氏によると
こうなる「空気」とは、一つの宗教的絶対性をもち、われわれがそれに抵抗できない
“何か”だということになる。
もちろん宗教的絶対性は、大いに活用もできるし悪用もできる。
(空気の研究 山本七平著より)


今日の 日本の現状について テレビの インタビューを受けてた 
中小企業の親父が 語ってたが 
「日本人は 優しい おとなしい 外国だったら暴動だよ!」

昔の日本は農民一揆 もあったし ストライキもあったし 安保闘争もあったし 
学生運動から発展した 東大安田講堂立てこもりもあったし 浅間山荘事件もあったし 

今は みんなが あきらめたのか 目的がなくなったのか 文句を言いたいのを我慢して 
考えることも止めて 誰かが設置した 囲いの中に追い込まれて娯楽に酔いしれてる 
家畜になったようだ!





テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

日米開戦のきっかけ ハル・ノートからわかった日本の軍隊
日章旗

きのうのNHKスペシャルで海軍400時間の証言を視聴して
当時戦争立案の立場にいた参謀たちの証言を聴いて
私の中の疑問が少しずつ解けてきたようだ。

8月6日・9日が過ぎ去り 15日の終戦記念日を迎える。
そこで12月8日の日米開戦を顧(かえり)みた。

軍艦

日本がアメリカとの開戦に踏み切ったきっかけは 世間一般に言われてる
ハル・ノートの存在である。

日米交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前から
このように呼ばれている。
ハル・ノートは、日米交渉において日本側の当事者野村吉三郎駐米大使と来栖三郎特命大使が提示した日本側の最終打開案(乙案)に対する拒否の回答と同時に、アメリカ側から提示された交渉案である。その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。 (Wikipedia より)

要するに 日露戦争に勝利してから日本が獲得した領土から出て行け、
そしてすべての中国での権益をアメリカに渡せ という日本側の最終打開案(乙案)の
対案を突きつけられた。 

いわゆる日米の利権争いである。

これが最後通告と勘違いして、深刻に思いつめる日本側に焦点を当てて考えてみた。

大砲

敵を知り己を知れば百戦危うからず と簡単に孫子の言葉を己の指針とすれば
かっこいいが 失敗ばかりする 私には なかなか難しい 
己を知ることはそう簡単にはいかない。

軍令部 関東軍 陸軍 海軍 右翼 の中にも それぞれの派閥が出来上がり 
それぞれの派閥が自分たちの利益を主張して それぞれの共同体が出来上がっている。 
いわゆる今で言えば 各省庁の省益で運営されている。 

もっと平たく言えば それぞれの共同体 いわゆるコミュニティーの中では 
それぞれの「生きがい」が 一人歩きしている。

だから 各派閥のいわゆる 共同体の中では 「生きがい」 から成り立っているので 
戦略戦術などの発想などなく  共同体維持のための 「生きがい」が  内に向かって 
問題解決のための解決を図りだす。

 こうなれば解決したように見えて解決など絶対にあり得ない。

だから アメリカ発の 「陰謀論」と決め付ければ 思考は停止して 
相手があっても内にこもり 問題解決の発想 アイデアなど でなくなる。
そうなれば あらゆる交渉などする意欲がなくなり 「今度という今度は我慢できない。」 
で最後は爆発する。  いわゆる 真珠湾奇襲となるのである。

去年の今頃 NHKが夜遅く 一人一人の日本兵の戦争体験を放送してたのを見て
米軍に追い詰められた日本軍の各部隊は 「戦う生きがい」を見出さなくなると
その部隊でのコミュニティーでの生きがいをなくしたときに 米軍に向かって 
何の作戦も立てずに 闇雲にバンザイ突撃を決行する。

私はバンザイ突撃のメカニズムと 自殺とを重ね合わせてる自分をを発見した気分になった。

いかに勇ましく死ぬかではなく いかにぶざまに生き抜いて生き抜いて 
逃げ隠れしながらヒッテンドランのゲリラ戦で 米軍をいかに苦しめるかを 
唱えた部隊長は 部下の兵士たちから の人望をなくしていった。 

卑怯者とか意気地なしとか 臆病者として!
いわゆる命令系統がはっきりした日本軍の中でも機能集団としてではなく
共同体として機能してたのである。

これをかんがみれば ハル・ノートは日本首脳部の日本の生きがいをすべて否定されたと 
勝手に思い込み パールハーバーに突撃したのです。

外国とのビジネス交渉での私の経験から ハル・ノートをつきつけられたとして 考えてみた。

1、びっくりするような法外な要求をしてくるのはしごく当たり前のことであり、 
  そこで頭にきて交渉を即座にやめてはいけない。 
  そして忘れてしまうこと。  心理的影響は大きいから

2、昔から日本とアメリカはぺリー以来の友人である ことを強調して 
  わが国はソ連の南下政策の 橋頭堡 であり英米のために役立っているのに 
 出て行けは どうしてか とのらりくらりと 期限を引き延ばす。
 相手の論理を手玉に取りながら 相手との友好関係を持ちたいことを強調する。

3、交渉相手の好き嫌い長所短所を調べ 日本側はけんか上手を交渉 役に選ぶ。
  ここで情報がどれだけ重要かを悟ること。

4、わが国は戦争の準備期間が必要なので 引き伸ばすほどに 有利に展開する。
  だから 絶対にいつまでと期限を切らせない。
  しかし 日本は11月末が期限と勝手に思い込み 真珠湾を急襲してしまった。

  なぜ真珠湾急襲決行日程がなぜ12月8日なのかよくわからない。 
  私から見れば闇雲に真珠湾を急襲してしまったと思ってる。
  急襲の戦術は立てたが戦略などなかったと思っています。

  山本五十六はアメリカの国力を熟知してたそうだが また2から3年は暴れて見せます。
  といったそうだが それにしちゃぁ~~~なぜだか石油施設はアタックせず。
  また攻撃の対象が旧式の戦艦ばかりであったこと さらには第3派の攻撃を促されながら 
  なぜ アタックしなかったのか 

  アメリカの最新鋭の戦艦や空母がパールハーバーに係船してるときに
  なぜ決行しなかったのか  を アメリカの国力を熟知してるカリスマ山本長官に 
  タイムマシーンに乗って 会って問いただしてみたい気分です。

  パールハーバーの急襲は戦略上から検証すれば アメリカは成功かもしれないが
  日本サイドから見れば失敗だということです。

  アメリカ兵の死体が浮かんだニュースなどを流して 情報操作を行い 
  リメンバーパールハーバーで 戦争に消極的だったアメリカ国民を 
 一挙に戦争へと一致団結させたのです。 

  そしてアメリカ経済は戦争特需で潤い いまわしいだまし討ちをする日本軍という
  イメージダウン操作に成功したのです。

  ついでにミッドウエー海戦の立案は前線のいわゆる現場の意見を
  無視して 軍令部での作戦シュミレーションでは大敗と出たのに 
  なぜだか 十分な準備もなく 早急に  強行に突入したのか 

  この私の疑問を昨日のNHK 日本海軍400時間の証言 での当時の軍令部 
  や海軍の作戦立案者たちからの証言でわかった。

  真珠湾攻撃を成功させた山本がそこまで言うのだから ミッドウエーで
  艦隊決戦をやらせてみよう。
  これが作戦立案者のトップである 軍令部永野総長の決断だったのです。 

  この当時の日本の軍隊は もはや機能集団ではなく人間関係を重要視する
  共同体であったとを立証した証言だと思います。

5、交渉が決裂しそうになったら 相手が嫌がる相手を連れてくる。 
  ここでは仮想敵国ソ連を念頭に入れておく。

6、絶対に譲れない線引きを 相手に悟られずに決めておく。 
  絶対にぶれてはいけない。
  たとえば満州国と台湾は譲れないことを決めておく。

7、英米の世界制覇の戦略は隣国同士を仲たがいさせて 戦争をさせて 
  お互いの国が疲弊しきったところで 漁夫の利を得る。 
  このことを頭に入れとくこと。

  だから 日本軍は蒋介石軍との休戦協定を結ぶこと 
  そしてこれは現在にも通じることである。

各共同体の意見を無視して 以上の項目通りに 公という 
いわゆる国益だけで動けば 軍令部 関東軍 陸軍 海軍 右翼
などの権益を無視することになるので 勝海舟のように 
幕府を売る大悪党と評価されて 命を狙われる。 

だから 現代も同じで 年金問題を暴けば 命を狙われるように  
公益法人の廃止するのも難しい。

北朝鮮のようにしたたかに のらりくらりと
交渉できる人物が入れば 思いつめることもなく 山本五十六も必要とせずとも 
ルーズベルトの思惑は 外れて アメリカ国民の反戦の運動は盛り上がり 
太平洋戦争という最悪のシナリオは避けたられたかもしれないですね。

昨日のNHK 日本海軍 400時間の証言の中で 作戦立案者の中枢にいた 
参謀たちの証言によると 右翼や陸軍から内乱を起こされるならと 
しかたなく アメリカとの戦争を軍令部は決断した。

だから戦争するための長期的作戦などのプランは立てていなかった。

ということは天皇の次の最高権力の座にありながらの 
軍令部という共同体の利益を守るための アメリカとの戦争は決定だった。

 忌まわしい戦争という表面だけで捕らえれば思考は停止する。
だから我々は過去の失敗を教訓として学ぶためには
分析して  検証して実行して 制度化して明文化して いかなければ
日本の未来はないと思いました。 

テーマ:信じたくない現実についてのあれこれ - ジャンル:

8月15日は日本の終戦の日
明日8月15日は日本の敗戦が決定した日である。
それは天皇陛下の 耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び で始まる 
玉音放送で始まり
日本の戦争終結宣言を日本国民へ訴えたのです。

何故日本は世界史の中でもまれな強力な天皇制ができたのであろうか
西南戦争で、西郷隆盛というカリスマを有した西郷軍と戦って苦戦した 
山県有朋の発案から 西欧列強の帝国主義と戦わなければならない 
戦意高揚のためにはカリスマの必要性を痛感したのです。 
 
幸い日本の政治体制は大昔から天皇制を中心にして機能してた。

こんなことを考えてると 太平洋戦争は何故起きたのか を考えた時 
時空をさかのぼるうちに幕末まできてしまった。

アヘン戦争で欧米の植民地と化した清国を垣間見た時の幕末の志士たちは、
非常な危機感を持ったのです。 
だから日本が欧米に侵略されてはならずと 欧米の良いところ取り入れて
日本の風土に合った改革を断行したのです。

そんな中 アジア近隣諸国と同盟を結び欧米列強に立ち向かうか 
それともアジアへ侵略戦争を仕掛けるか で西郷と他の政府高官と意見は対立し 
それが西郷の征韓論として歪曲されていったのです。

権力闘争に敗れた西郷は野にくだり日本は欧米列強の
植民地化政策に立ち向かうためアジア近隣諸国を侵略して
領土を拡張して資源を求めて言ったのです。

日露戦争までは日本の軍隊は機能した。
なぜなら軍人のトップ達は野戦を経験してたからです。
だが 日中戦争あたりから 野戦の経験もない軍人達の野望や 
出世の具と化したばかりに 無謀な戦争へと突入していった。

何故無謀かというと 大本営にはインパール作戦に代表されるように 
補給という兵站思想が欠如してた。

武器は旧式 戦争のやり方はソ連軍との戦い方しか知らず 
アメリカ軍との戦い方は研究などされてなかったのです。
だから南方で戦った軍人は戸惑うばかりだったのです。

そして前線と大本営との考えは乖離したうえに 
日本の有能な大本営の官僚たちは日本軍が連合軍に負け続けてることを
国民に隠し続けるだけではなく 勝ち続けてるような虚偽の発表をして 
国民を騙し続けて日本を崩壊へ導いていったのである。

そして現在も 過去の過ちを教訓にするでもなく 日本は同じ過ちを犯してるのです。

欧米列強の軍隊の強さを知り尽くした秀才ぞろいの大本営の軍人 参謀達が何故
無駄な戦を 勝ち目のない戦いをしなければならなかったのだろうか
それは現代も過去も空気という えたいの知れない怪物に支配されてるからです

無謀な戦争をやめようと唱えた山本五十六やマレーの虎山下将軍たちは 
まさに空気を読めない “KY”だったのです。 
だから戦争遂行派の軍人達から KY として排除されたのです。

空気という虚構の中にわが身を置けば 厳しい現実から逃れる事ができる。
だから厳しい現実を突きつける人間はうっとうしい 居心地が悪くなる

そんな人間を排除するには 現実を排除して虚構を絶対化しなければならない
それが 空気を読めない奴として排除もしくは無視されるのである。

現実を見る目を養うこともなく、KYが絶対化されればこの国は滅びる。

まさに歴史が物語ってます。!!!!!


テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術



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