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アメリカ政府が強行した 長崎 広島の原爆投下の真実
原爆落下中心地

原爆、この一発の爆弾により当時の長崎市中心部から3キロ離れた
この辺一帯は全滅したのです。
長崎市の被害は人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、
建物の約36%が全焼または全半壊した。
この山の裏側の町に住んでいた 私の母は、おかげで助かりました。

原爆落下中心地平和公園のオブジェ
原爆中心地
原爆それは神への冒涜
原爆で破壊された浦上天主堂の状態の良い一部が平和公園に移されて平和を祈っています。
爆心地に移した浦上天主堂の状態の良い一部
はたして 原爆投下は アメリカが発表した 日本の降伏を早めるための 戦略だったのか?

少しずつ情報が公開されることによって 少しずつ アメリカの戦略がわかってきた。

我々は 子供のころから 原爆投下は 降伏を促(うなが)しても聞き入れない 
軍部や国民に 対し 戦争の終結を早めるための 原爆投下であったと 
散々聞かされてきた が
果たして 久間元防衛大臣の発言の通り 「しょうがない」で片付けられる
問題であったのだろうか

原爆の対日使用については 早期戦争終結のためといううそを 
アメリカ人も日本人も ましてや世界も信じ込まされてきた。

ルーズベルト とチャーチルの昭和19年9月18日ニュヨーク州 ハイドパーク会談において 
核の開発と日本に対する原爆使用が合意に至った。
いわゆるマンハッタン計画である。 

それに従って原爆投下目標選定委員会が組織され 日本のどこに どのようにして
いつごろ どの種類の原子爆弾を何のために使用すれば 
日本が軍事的に壊滅するかを具体的に検討され始めた。

人類をこの地上に創造された神への冒涜か
キリストの悲しみ

人間業(わざ)と思えない焼夷弾でのじゅうたん爆撃東京大空襲や 広島への原爆投下 
そして わが街長崎への原爆投下を躊躇なく実行した
アメリカ軍のこの大量殺戮の真の目的はなんだったのだろうか

そこには アメリカの意図とは 何かと報告すれば 
「心理戦争局」の局長エイブリル・ハリマンが作戦の指揮を取った
「ブランデンシャル一般大衆爆撃」と呼ばれて 
極秘扱いとされた アメリカの一般大衆向けの心理戦争による 世界制覇のための調査
だったと考えられるのでした。 

要するに 一般大衆を どのくらい 大量に殺せば
敵対してる国が戦意喪失するかの 心理的実験にも使われたのではないかと
疑念を持たされる今日この頃であります。

総和20年7月に 米国が日本に対し無条件降伏を促したが 
黙殺という回答が帰ってきて これを翻訳した人間は なぜか 
拒絶と翻訳して 米国政府へ報告した。 

と なってるが なぜノーコメントと報告しなかったのだろうか 
ここにまだ 日本との交渉をしてはならない 情報操作の形跡がみられるのです。

この回答によって
米国戦争省の最高幹部の ウィリアム・ドレイパーが 
長崎・広島への原爆投下を決定した。 

トップシークレット扱い「ブランデンシャル 一般大衆爆撃」
の調査のためにも また 
広島は原爆投下後の 物理的効果を調査するためにも 通常爆撃禁止の命令が出された。

それを知ったとき 私は なぜ京都を爆撃しなかったのか そして 原爆をなぜ落とさなかったのか 疑問がわいてきました。

そうです。 原爆投下の第一目標は「京都」だったそうです。  

その理由にあげられるのが 100万の人口が密集 しており 
重工業の疎開地になっており 

あなたも京都を訪問すれば わかるように 三方の山に囲まれた 
平坦な盆地なので 高温と化した熱爆風による長崎 広島 を上回る
最大の惨劇が予測される理由から いったんは
原爆投下目標選定委員会 
は原爆投下を決定した。

が  陸軍長官のスチムソンが原爆投下目標選定委員会の決定した
京都案をひっくり返して反対に回った。

なぜなら 
歴史的意義深い 宗教的日本人の心の故郷 京都を完全に破壊すれば 
すさまじい破壊のため
 一般大衆向けの心理戦争に打ち勝っても 
日本人の戦意喪失につながらないと予測した。

また アメリカ国内や 国際社会から反発を受けて 日本占領政策に
支障をきたすのではないか と予測されたからである  

なぜなら 
他国か介入してきて アメリカ 単独の占領政策ができなくなるのではないか 
などの政治的理由が挙げられたからである。

新潟も原爆投下の候補に挙げられていました。 
が飛行距離が長いことと 人口が密集してないことが理由から 
投下候補から運良く外れたのです。

 ウォーナー博士が 日本の大切な歴史を残すために京都を爆撃させなかった は デマである。

事実は 広島と同じで 原爆投下前と後の 効果を知りたいために 
一切の爆撃を禁止命令を出したのです。
要するに 長崎 広島は 核爆発実験場だったのです。

そして アメリカ政府の勝手な都合が 京都や新潟への原爆投下を断念しただけなのです。

また別の観点から アメリカ軍は情報収集を怠っていた 
それは 長崎には教会がたくさん点在してる
ことを 調べずに投下した。

原爆風により廃墟と化した無残なキリシタンの聖地
廃墟の浦上天主堂

原爆投下後のアメリカの長崎における勝手な都合

浦上天主堂のケロイド状態となった おどろおどろしい 悲惨な廃墟を 
後世のために広島原爆ドームのように もしも残していれば かつての、
長崎の地はキリスト教徒の町であり 長崎浦上天主堂は世界の注目の的(まと)となり 

真の平和の象徴となり  アメリカ人を含め世界の敬虔なキリスト教信者に知れ渡り 
アメリカの世界制覇戦略は大きく後退したであろうと確信しています。 
そして湾岸戦争やイラクでの劣化ウラン弾は 使用されなかったかもしれませんね。

当時の長崎市長 田川さんは この浦上天主堂を残すことを 
長崎市議会で決定していたが
長崎市と セントポール市 との 姉妹都市の締結のため 確か1ケ月半 
という異常な長期にわたる 米国滞在となった。

 このときに何があったのか または洗脳されたのか 帰国したとたん 
長崎市議会議長もびっくりの原爆によって廃墟となったケロイド状態の
浦上天主堂を取り壊すことを決定したのです。

現在の浦上天主堂  ローマカトリック教会とはどのような話でけりがついたのだろうか
記録は残っているのだろうか
大浦天主堂

京都を爆撃しなかった アメリカに感謝し 精神年齢13歳とマッカーサーに揶揄されて 
納得し た 日本を観察して 国際社会は 日本人をマカーサーは骨抜きに成功したと
思ったでしょうね

第一目標の小倉市から第二目標である長崎市になぜアメリカ軍は変更したのか 
といいますと 昭和20年8月9日の小倉市は分厚い雲に覆われて 爆撃手が 
3回も目測できず 小倉 市上空を旋回する間に 燃料の残りが 沖縄までとなり 

高射砲の砲弾が激しくなりさらに日本空軍の戦闘機が向かってるという報告を受けて 
断念 午前10時30分頃、小倉市上空を離脱した。

長崎も雲が多く目測投下ができない状態であったが 雲の隙間から長崎市を
 見つけた爆撃手は 午前11時2分に原子爆弾を落としたのである。

もし 爆撃手が晴れ間を発見することができなかったら 命令違反のレーダーで
目標を確認しての爆撃 もしくは そのまま持ち帰ることもできずに
太平洋落下も考えられたのです。

原爆にかかわった人類は神にざんげしたのだろうか?
状態の良いものしか残さなかった

アメリカの 世界制覇の戦略戦術

小学生のころ原爆投下時 の実写フイルムに写る 
痛ましい光景を 小学校の体育館や講堂に集められて いやというほど 
散々見せられ 今では目が慣れてしまい 原爆の当たり前の光景になってしまったが 
いまになって思えば アメリカの都合のいい意図である反戦を植えつけられたのかもしれないですね

 そして もっとも重要な目的である 田川務市長と同じで 我々も子供ながら
アメリカに逆らえない ということを 洗脳されてきたのかもしれない。

 我々世代はアメリカの娯楽によって洗脳されてきた
考えてみれば アメリカからわたってきた ファッション スポーツ 映画 ポップス 
文学に酔いしれた時代を 熱狂的に受け入れ 何の違和感もなく アメリカナイズされてきた。

また今では食料自給率を アメリカにコントロールされ もはや アメリカには逆らえなくなった。
コメまで 減反させられ アメリカのコメを買わされる ようになった。

でもやっぱり私は 一般大衆のアメリカ人のおおらかさ 人なつこさ 人情がすきです。

目的地まで行く金がない ある日本人の若者が ヒッチハイクで 
親切な黒人のトラック野郎に乗せてもらったとき トラックを下車する際に 
「へい! ボーイ!  ドウー ユウー ハブ ア ブレード?」 

ブレード とは パンだな と思った 彼はすかさず ノー といったら
ポケットから くしゃくしゃの1ドル札を数枚 彼に差し出したのです。
彼は それを 丁寧に断って アメリカ人の人情を初めって 実感したのでした。
(ブレッドは黒人の俗語で お金の意味だそうです。)

確かアメリカのほとんどの州では ヒッチハイクは 法律違反なのを知らず 
警官にパトカーに乗せられたが 事情を知った警官に 目的地まで連れていってもらった 
この若い日本人は 白人の警官の人情に触れ アメリカが大好きになったそうです。

アメリカの建国はフロンティア精神から成り立っている だからチャレンジ精神が旺盛だ! 


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テーマ:長崎 - ジャンル:地域情報

8月のサイレンと私の母
8月のサイレンと私の母
ブログを更新するのも 久々で ご無沙汰してます。

またまた今年も8月9日11時2分の長崎のサイレンを聴きました。
このサイレンを聴くたびに思い出されるのは 原爆投下はもとより
私の母のことを思い出してしまいます。


私の母

私の母も被爆者です。
母と同じ年齢の方も 年月が過ぎ去るとともに 
顔には深い原爆体験とともに年齢を思わせるしわが 深く刻まれています。

今も生きてれば 被爆体験を体験者と一緒に 語り部として 皆様の前に 
顔を露出して被爆体験を お話してたかも知れないと
思って 思い切って 母の写真を載せました。

ピカッと夏の空が光った と 同時に隣にいた友人が 雷かな? 
と窓越しに真夏の空を眺めたときに ものすごい風とともに隣の友人は 
母の目の前から姿を消したそうです。

見つけたときは 表現できないほどの無残な人間と思えない姿で見つかったそうです。

母は分厚い壁越しにいたので 無傷でした。

それからは 帰ってこない知人友人達を姉達と一緒に爆心地の浦上まで探しにいったそうです。 
浦上川には水を求めて多くの人たちがいましたが その人たちも 
次々と亡くなり浦上川は死体の山となっていったそうです。

背中に赤いマントを羽織った人がいると思ったら 見間違いでした 
背中の皮膚が焼け爛れて肉が見えて赤くなってたそうです。
そしてあっちこっちでは 死体を焼く光景が見えて 
ウジがわいて何も施しようがない傷病者や放置された死体の山 

そのなんとも表現できない 臭いとが交差して この世とは思えない断末魔だったそうです。
そんな母も私たちが子供のときに 原爆が原因かどうかはわかりませんが
あの世とこの世を行き来しました。

母が私たち兄弟の前から いなくなる ということが 
子供だったからでしょうか 想像できませんでした。 

だから医者がご臨終です と父に告げたときも 
死んだなどとは思えず ただベッドの横で弟とともに
立ちずさんでたものでした。

叔父が私に 母を呼び戻せというのです。 
何のことか最初は理解できませんでした。
が いつの間にか 弟と二人で必死になって おかあさん おかあさん おかあさん
と何度も 何度も 叫んでました。

そしたら 返事したのです。 医者は奇跡が起きたと つぶやいてたのが印象的でした。
それからが大変でした あの世と この世を混同して 話すのです。

だれそれさんたちが お見舞いの来た と話せば 
母の姉が 「みんな 死んだもんばかいタイ」 

それからです 今まで被爆体験を話さなかった母が 私たちに語るようになったのです。

それから 近所の母と仲良かったおばさんが 22歳になった子供を 白血病で亡くしたとき
母に 半狂乱になって 泣き叫びながら語ってました。

何であの時(原爆が投下された翌日)乳飲み子だった娘を背中におんぶして 
浦上まで親戚を探しに言ったのだろうか 
娘を 殺したのは私だと泣き叫んでたのが

私は、今でも幼い子供ながら 脳裏に焼きついて離れません 
これを書きながら また当時を思い出して 泣けてきました。 

そんなときも 戦争が悪いんだ とか 原爆を落とした人たちが悪いとか 
アメリカが悪いとか 言ってたと記憶がありません。

日本人は憎しみを超えて 戦争の悲惨さを語り継ぎ 
他国のように政治的に利用して
人民を国民を民族をコントロールするでもなく 

平和憲法を持った国は珍しいのかも知れないですね。



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