グラバーとフリーメーソン

グラバー園内には、グラバー邸の建物以外にもコンパスと定規を組み合わせたフリーメーソン・ロッジの石柱がありますが、これは、幕末の松が枝町47番に住んでいたイギリス人の所有であり。石門の石柱をグラバー園に移動したものであって、元々グラバー邸に建ってたものではありません。これがグラバーはフリーメーソンのメンバーだったとまことしやかに語られる原因ではないでしょうか、そして証拠もなく勘違いされてる要因ではないでしょうか。

幕末の松が枝町47番は、フリーメーソンの人々が集まるロッジがあった場所だったのです。 フリーメーソンは、秘密結社のようなキワモノのような扱いを受けていますが、皆が思ってるほどの大げさな組織ではなく、18世紀の初め、イギリスで結成された石工集団から成り立つ親睦団体が、啓蒙主義精神のもとに博愛・自由・平等の御旗を掲げたグループが世界的な規模へと発展して行く過程において、世界進出のためには、世界各国の要人をメンバーにして、誰でも加入できない組織へと成長していっただけなのだと思います。
これだけ大きな組織に発展すれば、考え方の違いから派閥もできたでしょうし、政策の違いからいがみ合いもあったでしょう。
フリーメーソンの組織に加入することは、大きなステイタスであり、何かとメンバー同士の相互の助け合いが期待できたのでしょう。 秘密結社の会員が堂々と目立つ場所に目立つ印の門柱を構えたロッジに集まるわけがないと思うのですが。 あなたの考えは。
フリーメーソンが世界を支配してるとか、明治維新を動かしたとか、秘密結社であれば話題性にはもってこいだし、人々は怖いものみたさに世間の注目をあびるのではないでしょうか、私は、ただたんなる誰でもが入れない高名な人たちがメンバーに加入してる、世界的な親睦団体なのだと思います。いかがでしょうか?
グラバー園のグラバー

トーマス・グラバーは商売人でも経営者でもありません。なぜかって無計画に西南雄藩に武器を売りつけるただの無謀なブローカーでした。 しかし彼は、債権回収ができなく資金繰りに困り倒産の憂き目に遭うが、どんなことがあってもへこむこともなく果敢にチャレンジしていく精神力には敬服しました。 そして三菱の創始者である岩崎弥太郎の弟岩崎弥之助と出会って、彼のブローカーとしての能力をはっきしたのです。
最後に日本発展の基礎は、寺子屋制度にあったのです。 日本に来日した外人が必ず驚くことは、世界に類を見ない文盲率の低さと向学心にとんだ若人たちにです。 国家発展の原動力はと尋ねられれば、いの一番に教育です。 まさに歴史が証明してます。 「歴史に学べ!!」
グラバーの投稿は、これで終焉とします。次は勝海舟の影響を受けそれに傾倒していった、独立心旺盛なアイデアマン坂本龍馬の魅力をテーマにして投稿していきます。 私のブログに立ち寄られる“あなた” いつもありがとうございます。

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テーマ:歴史上の人物 - ジャンル:学問・文化・芸術
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