人間とは何ぞや 神社

この世の中は、神でも法律でも憲法でもない。人がいるから社会は形成されてるのであって人間不在の社会は「人間性を無視した社会」であって、人間不在の政治 人間不在の教育 人間不在の組織が形成されて現在のいじめ、自殺、親、兄弟、夫婦殺人などが起こり この社会がくずれていくのです。 だから、人間という定義が日本の最高の法であることを認識して あなたは立派な人間味あふるる人間という規範のもとに人間社会に奉仕する お役に立つ学問を学び、”世渡りべた”といわれながら、人から立派な人間らしい人間といわれるようになりなさいと、目上の人からいわれつづけてきたのです。
このことが、日本に宗教をひろめにきた宣教師には理解できない。

なぜなら創造主である唯一人の神様がアダムとイブを創造されて、人間社会を創られたのだと”守らねばならぬバイブル”に教えとして記載されてるのです。 何故ダーウインは進化論を唱えたばかりに迫害を受けたかといいますと、神が創造した人間が猿から進化したと教え説いたならば、神を否定したことになり、バイブルを学び バイブルの教えで社会秩序が保たれてるのに 何を規範にして生活ができるのかわからなくなるからです。 日本人的考えで文化、宗教、習慣の違う人たちの付き合いで、同じ人間同士だからと安易な考えで接すると失敗する例をお伝えして日本教である人間教の説明を終わらせてもらいます。
吉村作治 長崎新聞2007年1月14日に寄稿されてる中に イスラム社会にも契約概念があり、 口約束でも守るのが掟と書かれてました。 それは、労働者の家に休日誘われて行き、そこでわからない言葉で、次回来るときカラーテレビを持ってくる約束をさせられてしまった教授がいる、その人は二度と来ないのだが、私は隊長として後処理に苦労させられてしまった。と投稿されてました。
こんなことは、日本人がよく陥る話で何もわからず承諾する、たぶん人間同士の話し合いであるから法外な要求をしてるのはわかってるはずだ、だから人間同士の儀礼として「はーい」と答えとこうとの安易な返事ではないのか と思います。 話し合いという規範のもとに、いつでもあとから話し合いで無理な約束であることをわかってもらえればいいやと日本的な“和を持って尊ぶとなす”の 「なあなあ」 の人間教徒の世界をアラーの世界に持ち込んだのではないか イスラムもキリストの世界も契約は人間同士が神を証人として立ててお互いが神と約束するのである。 それこそ、人間教を信じる人には契約という概念はない。話し合いという絶対的な基本概念があるだけで「人間性を無視しない範囲で守ればいいだけである。」と考えれば、人間教徒の間では、法外な要求だと、誰もが認めれば“ごめん”とあやまることで不問とされるのです。
もう一つ例をお話します。フィリピンでものづくりを頼みに行ったときの事、 言葉がわからない人が現地に行って、現地人と口約束を交わしてきたときの話です。 その彼曰く、 「言葉がわからなくてもお互い同じ人間同士だから以心伝心で頼んできたよ」とあっさりと言われ、唖然としたが フィリピン人に聞けばなにいってもOKOKの連発だったそうで何事も無ければいいがと心配してたら、予想通りになってしまいました。 出来上がってみれば違う品物で 違うと返品したら だれそれの日本人がOKOKといったとなり もめたことがありました。 いくら口約束でも守らなかったらよからぬうわさが立てられるので、だからある程度の要求をのまざろうえなかった。
最後に日本にも食べてはならない食物規定があるのは御存知でしょうか イスラム教徒は食べる前に、ブタの食材が入ってなのかどうか必ず尋ねます。 イスラムは宗教の戒律でブタは絶対に食べてはいけないのです。 このことを日本人は簡単に考えます。すると過去にインドネシアの味の素がすごい批判を浴びせられたことがあります。 日本人には食物規定は、ないと思ってるあなた、あるのです。 あなたは犬を猿を蛇を食べれますか。 人間として食べにくいのでは 食べた豪傑たちは皆から非難ごうごうでした。 「まったく非人間的だ」と。
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
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