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坂本龍馬暗殺を再度考えさせられた。
P1090418.jpg

とうとう龍馬伝が龍馬暗殺により完結されましたね 福山龍馬や脚本家など
NHKのそうそうたるスタッフは視聴率が気がかりで大変だったろうと推察いたします。
だから史実を無視して 視聴者が興味を持つような描き方には無理もないと思ってますが
もともとは岩崎弥太郎を新春特番として描くつもりが 篤姫があたったばっかりに 
急遽龍馬伝が大河ドラマとして放映されることになりました。

だから これを覆(くつがえ)された三菱のアナリストにとっては
大変無念なことであったと推察しております。
さらに視聴者にはわかりやすく見せるために 岩崎弥太郎を悪役として脚本家によって描かれました。

史実を無視して 人々に興味を持たせる描き方は 私なりに勉強になり 
史実を歪曲させた司馬良太郎の竜馬がゆくが 大ヒットした理由が わかるような気がしてきました。
また 私事ながら 誕生日プレゼントに なぜだか岩崎弥太郎に関する本をプレゼントされて 
いささかびっくりしており これを機会に 岩崎弥太郎の生き方をじっくり考えてみようと思ってます。

私が幕末に興味を持ったのは なぜ太平洋戦争が起こったのかを二十代前半の頃 
卒論のテーマにして考えていたら 私の癖である とことんわかるまで調べだしたのが
きっかけで西洋の侵略に抵抗してた 大悪党といわれてでも藩閥政治を無視して日本という公に生きた 
大戦略家であり 不世出の大外交官の男の生き様を見せた勝海舟を知ったことがきっかけでした。

教科書には書かれていない 裏側から見た 複雑で藩閥政治が入り乱れた分かりにくい
幕末に活躍した幕末の志士である若者たちを観察すると
西洋の金融資本が日本の優秀な若者たちを 海外へ密航させて 西洋の素晴らしさを見せて 
西洋を見習わなければ 日本の発展はないと洗脳させて、 開国という錦の御旗のもとで 
幕府側と 倒幕側 との2大勢力を作り出し その両者を仲たがいさせて いわゆる日本を 
大きく分けて 二つに分断して 争わせる ことにより 
西洋の金融資本が漁夫の利を得ることを画策していた。

と このようなシナリオがナポレオン戦争以来 戦争により金儲けをしてきた
金貸しのロスチャイルド家が書き上げて 演出するのは  ロスチャイルド家とのつながりを持つ 
シャディー・マセソン商会 であり 演じる役者を集めるのは トーマス・グラバーであり 
何も知らずに、それを演じたのは グラバーのもとに集まった 野心野望に燃えた 
坂本龍馬 岩崎弥太郎 伊藤博文 五代厚志 など若き獅子たちであった。

幕府と倒幕派との戦いを 戊辰戦争と呼ばれた いわゆる内戦を見通して アメリカ南北戦争終結により 
有り余った大量の武器弾薬を仕入れて上海にストックしてた シャディー・マセソン商会であったが 
倒幕派から公武合体派に思想転向した龍馬によって 土佐藩を説得することにより 
徳川慶喜公により大政奉還が成立したことから  日本の大規模内戦を勃発させることによって
武器弾薬の大量消費を描いてた計画が崩れることになり グラバーを操って、
日本の利権を手に入れようと極東支配を画策してた 金融屋ロスチャイルドの融資先 
シャディーマセソン商会は 薩摩がグラバーから武器弾薬購入で膨大な借金をしていたことから 
大政奉還をやらせた龍馬が邪魔で 債権者であるグラバーの命を受けた 債務者である薩摩が 
西郷に命じて 暗殺させた。

と、多くの龍馬暗殺の動機として語られて いくうちに それらしき物証、証言などにより検証されて 
状況証拠だけが 一人歩きをして 証拠もないのに 憶測だけで、いつのまにやら 
薩摩藩の西郷隆盛の指示によって 幕府側の見廻組が 実行したことになっていった。

 イデオロギーが全く違う倒幕派の薩摩と 幕府側の佐幕派の見廻り組の接点がどこにあるのか 
推測だけが一人歩きして 何の証拠もなく 薩摩が密かに裏から手をまわして 
倒幕に邪魔な龍馬を暗殺したとなってる。

人々は世の中の不平不満を講談の中でうっぷん晴らしをして 娯楽の夢を描き、
 為政者は 自分達に都合の良い英雄を作り出し、庶民の不満のはけ口を英雄によって 鎮静化させる。

そんな やり方にピッタリと当てはまったのが 坂本龍馬である。

 尊皇攘夷派や佐幕派や開国派 などイデオロギーが複雑に絡んだ幕末の混乱期の時代において、
幕府の人々は誰が 何を考えてるのかわからず 不安だけが先行し 密偵によりもたらされる情報を元に 
倒幕派とみなされれば 京都の治安を預かる 見廻り組や新撰組によりいきなり逮捕されたり 
殺害された時代である。

その中の一つとして 薩長の動きを内定してた 密偵によってもたらされた情報によって
龍馬寺田屋襲撃が実行され これに逃れた 龍馬は 公武合体派に転向しようが 
京都の治安を幕府から預かってた松平容保の命令ない限りは、幕府の側からすれば 
いつまでもお尋ね者であった。
そんな事を考慮にいれれば アメーバ―のように組織がくっついたり 離れたりしてた
内ゲバ学生運動盛んな時代と同じ イデオロギーによって 殺害されたのかもしれないです。

そもそも定説によると 大政奉還を成立させた 龍馬は 武力による倒幕を決意してた
薩摩や長州の倒幕派を震撼とさせたことになっている。
が ・・・・
大規模 内戦を避けたかった 龍馬のアイデアは 徳川幕府が朝廷に政権を返上することにより
倒幕派の大義名分がなくなり 幕府と倒幕派 も無傷で残り
イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどが介入することもなくなり 日本は独自で
改革ができて 清国のように西洋の植民地化を防ぐことができることから 
後藤象二郎を説き伏せて 山内容堂公を動かしたのである。

だから すでに大政奉還が成立してるのにも関わらず、龍馬を葬(ほうむ)っても 
何の得があるのだろうか
もし 薩摩藩が下手人であるならば 恨みつらみだけで 現実的には不可能としか考えられない、
イデオロギーがまったく違う殺し屋に頼んで殺害したことになる。

P1090416.jpg

そこで龍馬暗殺犯人の実像に迫ってみた。 
現場が遺体が事件を語ると検死に当たる人が言ってたが
この写真の日本家屋(かおく)のように現場は天井が低く、京間の部屋は狭く 
長い刀では チャンバラには不向きである。  池田屋事件で立証すみだ。

京都の木造の階段の作りは そろりそろりと登ってもきしむ音がして 人の気配をすぐに感じる。
 そして ひとつ部屋を隔てた京間の奥の狭い部屋にいたのを察すれば奇襲攻撃など絶対に無理がある。 
寝込みを襲ったのであればまだ考えられないこともない。

映画などでは観客のために迫力ある暗殺の現場を描けばいいのだから 現場検証など無視してしまう。

さらに付け加えると 初動捜査に不備がありすぎて 刀の鞘や 片方の草履などが残されていたが 
最初から新選組の仕業と決めつけての 初動捜査が 証拠物件や実行犯の
手がかりが分からなくなってしまった。 

掛け軸や屏風にかかった龍馬の血痕から察すれば 背の丈180センチ近くある男の額を
深く致命傷になるように脳にまで達するように真横にえぐることは
長い刀では難しいし 柱(ハシラ)が邪魔になる。そして横一直線に飛び散った血痕が低すぎる。
もうひとつ証言で気になるのが 十勝川郷士を 訪問者は名乗ったことである。

幕府の御尋ね者であった龍馬は 非常に警戒心が強かったと思われる。
なぜなら 居場所をそのつど変えてたからである。 
その時は風邪をひいてて
住む部屋を変えていたのである。
それをすんなり見知らぬ訪問者に居場所を教えるであろうか。

ということから 龍馬と顔見知りの十勝川郷士と思われる。
 そしてお互い 長い刀は離しておき両者膝詰で座った位置から 
「坂本先生も元気でご活躍されてることが風のウワサで伝わってきますよ」 
「いやいや貴殿も元気そうでなによりですな」 という会談の途中 
いきなり十勝川郷士の鋭い短い刀での特徴ある居合抜きで 片膝ついての真横に額を払われ 
そこで龍馬が後ろにある刀を屏風を倒しながら取りに行こうとした時点で背中を向けた時に 
十勝川郷士の居合抜きの特徴である第二弾のたちが上から下に袈裟固めに背中を切られたのである。
その血痕が屏風にぼたっと落ちる形状をした血痕として残った。

この居合い抜きの剣術は 土佐勤王党 の剣術にも見られる。

片膝をついたまま剣を横に払い すぐに袈裟固めに上から下えと振り下ろす。
これは神業とも思える一瞬の出来事であったと思われる。
なぜなら後ろに控えてた中岡の反射神経をもってしても どうすることもできず
隣の部屋に控えてた 見廻り組のものが電光石化 不意を突かれた 中岡を奇襲攻撃したのであろう。

被害者や刑事事件の証人の証言など 信ぴょう性にかけるのが常である事は 
現場や遺体が常に物語っている。
初動捜査の不備を前提にして中岡や他の人の証言を無視して現場と龍馬の遺体の刀キズから分析してみました。

幕府の人間でありながら 勝海舟は藩閥政治を一掃しなければ 清国(中国)のようにヨーロッパ
の植民地になることを苦慮してた 勝海舟の教えを受けてた 龍馬は、 
大量の武器弾薬の買い付けの時に気づいたグラバーの目的である 日本での大規模内戦を阻止しなければ 
日本はヨーロッパ列強の植民地となると考えて 
とった行動が 倒幕派から公武合体派へと 思想の転向を行い 大政奉還へとつながっていったのです。

この江戸末期のころの日本は西洋の植民地になるか ならないかのまさに瀬戸際であり
 藩閥政治を捨て 「日本という 公に生きた。」 大戦略家 勝海舟と 
その一番弟子である坂本龍馬によって 日本の植民地化は阻止されたのです。

大政奉還を決断した 徳川慶喜公、 慶喜公を説得した勝海舟、 
後藤象二郎を動かして土佐藩主を説得した 坂本龍馬は 日本の恩人だと思います。

人間として 人間らしく 日本という公のために 若くして散った 龍馬は 西郷隆盛と同列の
人間教徒ととしての殉教者として 何時までも 英雄として人々の心の中に生きているのです。

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テーマ:龍馬伝 - ジャンル:テレビ・ラジオ

新資料 薩長同盟から わかった 龍馬の虚像と実像
村祭り

今日の福山雅治のFM鈴木トーキングで わかりやすい薩長同盟を志す といってたが
今週ばかりは わかりにくい 歴史を無視した 視聴率重視の 大変面白い歴史ドラマであった。

西郷と木戸の交渉はお互いのメンツにこだわり 2週間が過ぎても何も決まらない 
同盟締結を 投げ出した木戸が 帰ろうとした矢先に 龍馬が現れ 木戸に向かって

「自分は日本のために頑張っているのに、藩のメンツにこだわるとは何事だ」と一括した
と 明治になって木戸が書き記した 「 防長勤王事蹟自叙」によって 
龍馬は英雄として一般庶民に広く知れ渡る様になった。

しかし この記述が嘘か本当かは 木戸以外には生き証人がいないので 検証ができなかった。 
しかし この薩長同盟の経緯は 木戸の作文ではないかと 最近の研究では疑われるようになった。 

それは、近年島津家が所有してる 玉里島津家文書 が公開された.
これによって この木戸の証言を 翻すような 新資料が見つかった。

それは 龍馬が 西郷の命において 長州との和解に奔走してたと 考えられる内容の手紙が発見された。
その内容は 下関で会った木戸との会見で 彼は他の長州人と違って薩摩に対して 悪感情は持ってない旨を 
報告している。

龍馬の行動を監視してた ある薩摩藩士が 西郷に報告した密書の内容によると
薩摩が長州との和解のために 龍馬を長州に 密使として隠密裡(おんみつり)に送り込んだ目的は 
薩長和解の事情探索と 下工作であることが 判明した。

薩摩藩では 朝敵となされた 長州と同じ運命をたどらないためには 徳川幕府から 
いずれは攻撃を受ける前に
長州を橋頭堡(きょうとうほ)にしようとの地政学的狙いとしての戦略が薩長軍事密約同盟に 
つながっていった。

龍馬が スーパーマンの如く 八面六臂の活躍ができた理由は 
どこで 誰につかまろうが 白状しようが どこにも属さない脱藩浪士である龍馬は

 勝にも西郷にも 後藤象二郎にも 使い勝手のいいトリプルエージェントだったからである。
だから龍馬の虚像と実像のギャップがはげしいのです。

これを分かりやすく説いた 歴史資料から判明した 薩長同盟の経緯(いきさつ)と龍馬の実像です。

密約の内容
1.開戦になったときは薩摩藩は2000の兵を東上させ、京坂両所を固める。
2.戦いが長州藩に有利となれば、薩摩藩は朝廷にはたらきかける。
3.万一長州藩が敗色濃くなっても、薩摩藩はいろいろと尽力する。
4.開戦にならず、幕府が撤兵した時は、薩摩藩は朝廷に奏上して、長州藩の冤罪を解くように努力する。
5.薩摩藩が東上した時、場合によっては一橋・会津・幕府と戦う。
6.冤罪が解けた後は、薩長協力して皇国のために努力する。

そこで 冒頭に述べたように西郷と木戸の交渉はお互いのメンツにこだわり 
2週間が過ぎても何も決まらない とマルデ交渉が難航してるかのように木戸が書き記してるが 
これは嘘である。 

この2週間は 禁門の変でのことが幕府が長州を朝敵として処分するかしないかの
決定を待っていたのである。
朝敵と決定された 途端 薩長同盟は締結されたのです。

そこには 薩摩と長州の口約束の中に木戸の手紙の中からわかった 
「(薩摩が)調停に朝廷に働きかけ長州の冤罪を晴らす 」 
これが長州にとっては最重要課題だったのです。

だから 龍馬に木戸はこの口約でできた密約を文章化して 裏書証明をしてもらったのです。 
だから木戸は天皇が絶対視された明治において 自己保身のため 天皇の決定を覆(くつがえ)
すための薩長同盟であったことを隠さなければならなかった。

この木戸書簡から 現代にいたるまで 龍馬は 小説家に 政治家に 物書きに 
と都合のイイ人物として 利用される様になった。

テーマ:龍馬伝 - ジャンル:テレビ・ラジオ

坂本龍馬が切手になった.
龍馬切手

坂本龍馬が切手になった。 
金に糸目もつけずに 多くの手紙を 今のように郵便事業も発達してない 
飛脚の時代に 姉さんを筆頭に肉親 友人 知人 木戸孝允 (10通)に出し続けた 
その中で奇跡的に保存されてる数は128通

西郷や海舟や中岡慎太郎や後藤象二郎などに 各藩の動きを 密書にしたためて 龍馬は
間諜の役目も務めていたかもしれない と想像してしまった。 

そんな手紙はもちろん残存するはずがない。 
龍馬は、なぜ多くの手紙を出すほどの財力があったのだろうか と考えれば
落ち着く先は 薩摩 長州 土佐の あるいは勝海舟の連絡係をまたは情報源として
手紙を密書を書き続けていた事で 各藩から財政の援助を受けてたと思えば 
何か彼の筆まめも納得出来るのである。

今や龍馬伝が来年NHKの大河ドラマが放映されることから 史実とかけ離れた 
本来の龍馬像は置き去りにされて スパースターとして 人々に翻弄された 
龍馬がまたもや一人歩きしだした。

そして各地の観光のお役に立っている。

人々の心を捕らえる龍馬の魅力は 司馬遼太郎が 竜馬がゆく 
の小説の中で作り上げた 人間像であろう。 

日本人の心の中に根をはる 心の規範 人間とはかくべきものでなければならない 
と説いている すなわち人間とは身分に関係なく 平等であり を規範にして 
その時代時代を 時の為政者の代弁者として 歴史の史実など そっちのけで 
人間らしく 面白おかしく と登場してきた。 

すなわち 司馬遼太郎の 竜馬がゆく はアメリカ型 民主主義 平等主義を 
背景にして 見事に日本人の感性 に触れて
お天道様の下では人間皆平等 人間平等主義が 竜馬をモチーフにして 見事に表現して 
ベストセラーになった。 と私なりに分析してみた。

竜馬は 筆マメで 多くの手紙が残っている そんな多くの手紙を読めば読むほど
小説よりも 人間らしい一人の野心家である幕末の志士像が浮かんでくる
そんな筆まめ龍馬にふさわしい 郵便事業のお役に立つ ビジネスマン龍馬として
切手になって蘇った。

私の事務所の近くの香焼郵便局によると 長崎の風景と龍馬がマッチングした 
長崎限定に発行された切手は 切手マニアを中心にして売れ  
おかげで この切手シートも残り少ないらしい。 

龍馬切手シートに興味のある方は香焼郵便局 095-871-4080へ ご連絡ください。 

テーマ:長崎 - ジャンル:地域情報

 弥太郎と龍馬の長崎
長崎市公会堂
長崎公会堂
平成21年11月21日14時から 第7回長崎さるく幕末編が長崎公会堂で開催された。

講演会

テーマ 弥太郎と龍馬の長崎
講演 岩崎弥太郎と長崎 成田誠一氏(三菱史アナリスト)

シンポジウム

シンポジウム 弥太郎と龍馬が目指した未来像~長崎市のこれからを考える~
コーディネーター 脇田安大氏
パネリスト として 坂本家の子孫 坂本登氏 や田上長崎市長ら 合計7名が招かれてた。 

ジャ踊り

弥太郎と竜馬の長崎 のテーマで 講師として招かれた 成田誠一氏(三菱史アナリスト)の 
お話を聞いて NHKの大河ドラマ企画の竜馬伝までいたる 裏話や 
竜馬がゆくでの司馬遼太郎の事実とかけ離れた弥太郎のイメージの描写の仕方を指摘されたり、

弥太郎率いる三菱が 起業したころの苦労話を述べられたり
長崎市長の長崎が生き残る 行政戦略を語られていたと 私なりに解釈させてもらいました。 

龍馬と弥太郎の接点は 長崎での7ケ月間だけで 土佐での接点は みあたらない。

長崎での最初の出会いは 金銭トラブルである。
象二郎に言われた百両を海援隊に支給したが 隊長の給料は別に支払う約束であると
竜馬がもめて 弥太郎は根負けしたのか 公金から借用して別に自腹として50両出している。 

キャッシュフローを把握してた弥太郎と 資金繰りを理解できなかった竜馬との
マネジメントの見解の違いが 如実に現れた 出来事かもしれません。 

いつの時代も経理を担当する人間は 嫌われ役に徹しなければ ならない 
と弥太郎の苦労を資料から推察することができる。

二人がお互いを知るきっかけは
いろは丸事件で 二人は頻繁に接触する機会がふえ 
夜遅くまでお互いの将来を語り合う間柄になっていったようである。 
そして大政奉還のことで 象二郎とともに竜馬が長崎を発つときのことを 
弥太郎は涙を流したことを日記に記している。

土佐商会

弥太郎が長崎の土佐商会に派遣された役目は
象二郎の放漫経営による
資金繰りに困ってる土佐藩のための武器の買い付けは 非常に厳しいものがあり 
彼のアイデアや心意気で 土佐藩を背景にして俺を信用してくれ とたんかをきっての 
信用取引を行い。 
どうにか 土佐商会を立て直し 一介の下級武士が長崎土佐商会のトップに登っていった。

弥太郎の国際感覚は 長崎の外人との交渉により培(つちか)われてわれていった。
特にグラバーやウォルシュ兄弟を通して商売を学び 
世界の経済の流れを実感して言ったのであろう。

NHKの戦略は ドラマ仕立てで 視聴者に面白おかしく 興味を持って 
見てもらうために 龍馬の国際的感覚や世界を見据えた考えを 弥太郎が受け継いで 
海運や鉄鋼 石炭 造船 など国家を 見据えいて 後を 継いで  行動をするようになり 
明治の日本経済の礎を弥太郎が造り上げていったと ドラマチックに描かれるようだ。

そこで龍馬伝の企画のきっかけは 
2010年新春歴史ドラマに 今の不景気を吹き飛ばす 歴史ドラマに 
岩崎弥太郎が抜擢され 三菱史アナリスト 成田誠一氏が相談を受け 
企画を練っていた矢先、 あつ姫がヒットしたものだから
龍馬でいこうとNHKが 企画を練り直され 彼の尽力を無にしないために 
彼の顔を立てて 弥太郎から見た龍馬を描くと 強引な企画となった。

司馬遼太郎の竜馬がゆく の小説に 描かれる 弥太郎は 実像と違ってまるで 
悪玉のように描かれてるのが 気に食わなかったようである。

私は 司馬遼太郎の考えは 日本人に 人間らしい平等という概念に共感を持ってもらうため 
史実から外れて 面白おかしく  階級制度を飛び越えて、 お殿様にもずけずけと意見を唱える 
人間を魅了する 人間らしい かっこいい スーパーマン竜馬を描いただけ と思ってる。

弥太郎の 三菱という会社を 起業して実施された戦略は 国際的感覚を養った人材の育成と 
日本の国家戦略に沿った 外資を排除した 民族資本の必要に合わせた 
鉄 石炭 造船 などハードビジネスを手がけていった。

その中で人材育成の先駆けである 歴史的事実の一つが明らかにされた。
弥之助は アメリカのコネチカット州の小さな12人だけの学校に入学して 
約2年間学んだ ことがつい最近 アメリカでの弥之助の写真を所有されてる方から
連絡があり、
アメリカでのエピソードを交えながら話された。

誰からも言われるが 成田講師に言わせると 長崎人はおとなしい。
 大法螺を吹いてでもいいから 人からなんと言われようと大きな目標に 
がむしゃらに向かっていく バイタリティーに 欠けてるといいたかったようである。 

ゲンダイの言葉で伝えれば草食系 市民だといいたかったのであろう。

ふるさと物産祭り
鯨かつ
ふるさと物産
鯨カツ画像

しかし
長崎市長は 長崎と広島とのオリンピック同時開催の企画をぶち上げて 
日本中を驚かしたり さらには

長崎の発展に寄与する経済効果戦略をぶち上げ 実現させるため 
中国など外国を訪問して他県よりも先駆けて 精力的に行動されてるし 
長崎の軍艦島や教会群 や 幕末の遺跡など観光資源を発掘して 福山雅治氏を 
ふるさと大使になってもらい 日本中に宣伝している。
 
観光という競合を押しのけて 長崎の豊富な歴史遺産などや長崎人のよそ者に親切という 
強みを生かして また来たいという 感動をしてもらい 新たなる観光資源を発見し 発掘し 
創造して 福山雅治氏などの 有名人を使って全国の人に長崎を知ってもらう。
という 戦略が確立されてきてると感じ取りました。 

形成戦略として 観光資源のある町 三菱の街 水産県の町から脱却する 
更なる事業を展開しなければ ならないことを 

龍馬から 弥太郎から 学ばせてもらいました。

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長崎・丸山公園で龍馬像除幕式
龍馬銅像

来年放映のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて長崎市の丸山公園に建立された
坂本龍馬の銅像の除幕式が15日、現地であった。
完成した銅像は、台座も含めた高さが2・4メートル。長崎で活動する版画家、小崎侃さんが制作した。龍馬の“三種の神器”とされる懐中時計、ピストル、ブーツが取り入れられ、「丸山の風を受けながら闊歩(かっぽ)している様子を表現した」(小崎さん)。
(長崎新聞より抜粋)

長崎女子高じゃ踊り

 除幕式では、福山雅治さんの稲佐山コンサートでジャ踊りを披露した長崎女子高校生たち
彼女らにデジカメを向ければ 屈託のないVサイン そこでマシャの印象を聞いてみた。
やっぱり 彼女らの ノリのよさが  マシャから見れば 宇宙人でも見た 
驚きと捉えられたのかも ですね

ひろやまもと

ヒロヤマモトさんが作詞作曲した竜馬の歌や軍艦島の歌など
彼のオリジナルの曲が数曲披露された。

現代の竜馬像は 
日本人の心のひだに触れた 司馬遼太郎 竜馬がゆく  によって 
多くの日本国民のヒーローと して不動のものと位置ずけられていった。 
多くの人の 志の ヒロイン そして 目標とされていった。

そんな坂本龍馬は時の為政者たちから 利用されてきた
日本国民の間で有名になったきっかけは 明治16年1月から 高知の 土陽新聞に 連載された

汗血千里駒(かんけつせんりのこま) という題名の 小説が連載されてからである。
内容は龍馬の八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍と波乱万丈の生涯を 
千里を走る名馬になぞらえて 一般庶民にもわかりやすく描いたものである。 

当時は 薩摩 長州の藩閥政治に 対抗して
土佐出身の板垣退助らによって起こされた 自由民権運動が盛んで
この自由民権運動の活動家である 坂崎紫瀾 によって書かれた小説である。

この小説の内容の中に 竜馬がなぜ 人々の涙腺(るいせん)に触れ  
小説や講談の世界で 広まっていったかが分析できる。

一介の 土佐藩の脱藩浪士が 人間とは 生まれながらにして 平等であると 
著者坂崎紫瀾が 将軍や諸大名を前にして 身分を越えて 堂々と 対等に意見を 
を述べる竜馬を 小説の中で描いている。

「天賦同等の感情に胸の炎を焦がしつつその門閥を憎み」 と筆者が 
書きしたためていることから 人間は本来生まれながら 平等であらねばならないのに  
長州じゃ 薩摩じゃなどの 藩閥政治を つかさどっていれば いづれ国家は滅びると 
竜馬を小説の中に 登場させて 自分たちの代弁者として 描いていったようである。

藩閥政治に不満を持つ多くの 武士階級や一般大衆を超えて 人々に幅広く 
人間とは本来は生まれながら 平等であると 説いたことが 容易に想像できる。

板垣退助らの志が 崇高なものであると 民衆を取り込むために かっこいい竜馬を描き
そして 重複させて  権力闘争に利用されていったのである。

参考資料 NHK 堂々日本史 

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