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日本最初の英語教師 ロナルド マクドナルド(4)
日本最初の英語教師 ロナルド マクドナルド(4)

この当時幕府は
日本近海でのアメリカの捕鯨船の出没や頻繁に日本に寄港することから、または
諸外国の開国要求などから 英語通訳の必要性を感じてたはずです。
そこへ、胡散臭いが、教養豊かな、我々に肌の色も似てる英語をしゃべる外国人が漂着したことを幕府は聞きつけ、当時世襲制だったオランダ通詞たち14名に英会話を学ばせることになったのです。

大悲庵の画像
大悲庵


場所は、長崎諏訪神社近くの大悲庵で、牢獄の牢格子越しにて、彼がアメリカへ帰るまでの7ヶ月間、英会話の授業が行われました。 
彼は徹底的に英語の発音を教えたのですが、いかんせん英語の発音を教えるネイティブ英語圏の教師が陥るジレンマである 日本人の L と Rの発音の区別が今も昔もできないのことなのです。 この発音は、今も昔も英語圏の人間にはなぜ発音できないのか理解できないようです。 そして笑われます。

面白いことに、マクドナルドの日英会話帳の中に見られる長崎の方言です。
Good は よか  Bad は わるか
Entertaining は  おもしろか
であるが 長崎の人間としては これを標準語として覚えたのではないかと思えば笑ってしまいます。 
それが後に、彼の生徒14名の中には、優秀と認めた生徒がいました、その生徒の名は、ペリーと幕府の交渉にあたっての主席通訳に大抜擢されることになる森山栄之助だったのです。
Freedom 自由という言葉は、今では定着してますが、自由など無かった当時に、森山が造りだした造語だったそうです。
ラナルドと、森山栄之助は 偶然の出会いではなく出会うべくして出会ったのではないでしょうか  日本のためにです。

What  do you want to do in Japan ?
私も彼から英会話を習ってたら“ワイは、日本でなんばしたかとか” と 長崎弁で尋ねたかも知れません。

私が外国で英会話を習ったとき、生徒で日本人は私一人、すべて諸外国から来てた異文化の生徒達ばかり、彼らとの世間話も英語、質問も英語、一つのフレーズの意味を質問して、説明は英語で返ってくる。 そして美人の先生の口癖は、常に英語圏の映画を見て、耳で英語を覚えろでした。これがほんとうの英会話の勉強でした。

        -the end -
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日本最初の英語教師 ロナルド マクドナルド (3)
20061226164533.jpg


だから日本の内情を調べるためには、
日本人に近い肌をした男に密入国させて、日本を探らせたのではないだろうか。
興味深いのは、彼がアメリカ議会に「日本社会は法治国家であり、日本人は礼節正しく民度も高い」といった報告書が提出されてることです。彼は日本から帰米の途中と直後、日本の情報を徹底的にアメリカ情報機関から尋問されたであろう。
だから、ぺリーは事前に日本という国の国民性や軍事力や幕藩体制を彼からの情報によって知っていて誰と交渉すればいいのかも理解してたはずだ。
だから他国は、まずは長崎に向かったが、アメリカの場合は大統領の親書を持って直接幕府のお膝元、浦賀に現れたのであろう。
密入国の手口などは、日本から帰国して数年後に書かれた彼の書物から後の歴史家は、判断したのであって、当時の彼の本心は、わからなかったのではないでしょうか。
だから彼は、アメリカ政府の意図を持ってのエージェントとして日本へ密入国したといっても不思議ではないでしょう。

To be continued

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日本最初の英語教師 ロナルド マクドナルド(2)
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日本最初の英語教師 ロナルド マクドナルド(2)

日本英語教育の創始者ジョン万次郎
(彼よりも早くにアメリカへ漂着して日本のお役に立った日本人がいた。)

ジョン万次郎

マクドナルドの数奇な運命が彼の日本行きを決心させたのです。
彼はオレゴン州アストリアでスコットランド人を父と原住民であるチヌーク族の母との間に1824年この世に生をうけたのですが。
母は彼が生まれて数ヶ月で亡くなり、父はスイス人と再婚し、白人の継母に育てられる。
当時のアメリカ社会は、黒人だけではなく、すべての有色人種に対しての人種差別がひどく、混血で会っても例外などありませんでした。
そんな社会で多感な思春期を過ごせば、自分は何のために生まれてきたのか苦悩したことでしょう。 
そんな時 日本という東洋から嵐に巻き込まれたために14ヶ月間漂流した後生き残った3人の日本人漂流民が1833年にアメリカブラッタリー岬に漂着したのです。
3人の名前は音吉、久吉、岩吉 ということから 3吉と呼ばれたようです。
ジョン万次郎よりも早くアメリカに足跡を残したことになります。
日本人というインデアンに似た肌の色を持った東洋の漂流民のことを知れば、好奇心と母と似たルーツを探したいという興味を強く持つのが必然ではないでしょうか
それと並行して、蒸気汽船が主流になりつつある頃、捕鯨基地や中国までの燃料を手に入れる石炭の供給基地を日本に持ちたい
アメリカ合衆国は日本という小さな島国をアジア覇権戦略の橋頭堡とみいだしたのである。
だから日本と交渉しなければならないが、いかんせん日本の内情がわからないとくれば
あなたならどうしますか。
         
             To be continued



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