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長崎ギフト南蛮館がお伝えします。 日本最初の英語教師 ロナルド マクドナルドの野望

捕鯨のためアメリカは日本近海まで多くの船を出していた、それに目を付けた彼はあこがれである日本へ行きたい強い衝動に駆られ 銀行員を辞めて捕鯨の船員となる そして24歳の時、念願である日本上陸を果たすのだが 時は1848年(嘉永元年)といえば誰でもが知ってるように、徳川幕府が支配してた時代であり、鎖国政策をとり外国との接触は長崎という特定の地域と特定の人達だけにしか許可が降りてなかった時代であります。 だから彼の日本上陸方法は、難破を装い漂流民として北海道の利尻島の野塚沖で助けられ 漂流民はいったん長崎に送られ、長崎から本国へ送還されるため、長崎に送られたと推測するのが合理的だと思われます。 もし密入国者として判明してたら、英語教師として、徳川幕府が許可を出さなかったであろうし、たぶんアメリカの隠密(スパイ)として捕り扱われて日本人との接触はできなかったはずである。 長崎奉行所が取り調べてる長崎犯科帳には名前だけが載ってるだけで、当時は、外国人に対する法律が整ってなく、漂着民でも密入国者として扱ったものと思われるのは、通例からすれば容易に想像できることです。 だから、嘉永7年(安政元、1854)、ペリーが再来航し日米和親条約を締結したときの項目に漂流民保護として、自国の漂流民を密入国者として取り扱わないように、長崎におけるオランダ人と同じ扱いをするようにと盛り込ませたのである。 -to be continued-
ながさき鯨カツを食べてくじら文化を知ろう


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