弥太郎と龍馬の長崎
長崎市公会堂
長崎公会堂
平成21年11月21日14時から 第7回長崎さるく幕末編が長崎公会堂で開催された。

講演会

テーマ 弥太郎と龍馬の長崎
講演 岩崎弥太郎と長崎 成田誠一氏(三菱史アナリスト)

シンポジウム

シンポジウム 弥太郎と龍馬が目指した未来像〜長崎市のこれからを考える〜
コーディネーター 脇田安大氏
パネリスト として 坂本家の子孫 坂本登氏 や田上長崎市長ら 合計7名が招かれてた。 

ジャ踊り

弥太郎と竜馬の長崎 のテーマで 講師として招かれた 成田誠一氏(三菱史アナリスト)の 
お話を聞いて NHKの大河ドラマ企画の竜馬伝までいたる 裏話や 
竜馬がゆくでの司馬遼太郎の事実とかけ離れた弥太郎のイメージの描写の仕方を指摘されたり、

弥太郎率いる三菱が 起業したころの苦労話を述べられたり
長崎市長の長崎が生き残る 行政戦略を語られていたと 私なりに解釈させてもらいました。 

龍馬と弥太郎の接点は 長崎での7ケ月間だけで 土佐での接点は みあたらない。

長崎での最初の出会いは 金銭トラブルである。
象二郎に言われた百両を海援隊に支給したが 隊長の給料は別に支払う約束であると
竜馬がもめて 弥太郎は根負けしたのか 公金から借用して別に自腹として50両出している。 

キャッシュフローを把握してた弥太郎と 資金繰りを理解できなかった竜馬との
マネジメントの見解の違いが 如実に現れた 出来事かもしれません。 

いつの時代も経理を担当する人間は 嫌われ役に徹しなければ ならない 
と弥太郎の苦労を資料から推察することができる。

二人がお互いを知るきっかけは
いろは丸事件で 二人は頻繁に接触する機会がふえ 
夜遅くまでお互いの将来を語り合う間柄になっていったようである。 
そして大政奉還のことで 象二郎とともに竜馬が長崎を発つときのことを 
弥太郎は涙を流したことを日記に記している。

土佐商会

弥太郎が長崎の土佐商会に派遣された役目は
象二郎の放漫経営による
資金繰りに困ってる土佐藩のための武器の買い付けは 非常に厳しいものがあり 
彼のアイデアや心意気で 土佐藩を背景にして俺を信用してくれ とたんかをきっての 
信用取引を行い。 
どうにか 土佐商会を立て直し 一介の下級武士が長崎土佐商会のトップに登っていった。

弥太郎の国際感覚は 長崎の外人との交渉により培(つちか)われてわれていった。
特にグラバーやウォルシュ兄弟を通して商売を学び 
世界の経済の流れを実感して言ったのであろう。

NHKの戦略は ドラマ仕立てで 視聴者に面白おかしく 興味を持って 
見てもらうために 龍馬の国際的感覚や世界を見据えた考えを 弥太郎が受け継いで 
海運や鉄鋼 石炭 造船 など国家を 見据えいて 後を 継いで  行動をするようになり 
明治の日本経済の礎を弥太郎が造り上げていったと ドラマチックに描かれるようだ。

そこで龍馬伝の企画のきっかけは 
2010年新春歴史ドラマに 今の不景気を吹き飛ばす 歴史ドラマに 
岩崎弥太郎が抜擢され 三菱史アナリスト 成田誠一氏が相談を受け 
企画を練っていた矢先、 あつ姫がヒットしたものだから
龍馬でいこうとNHKが 企画を練り直され 彼の尽力を無にしないために 
彼の顔を立てて 弥太郎から見た龍馬を描くと 強引な企画となった。

司馬遼太郎の竜馬がゆく の小説に 描かれる 弥太郎は 実像と違ってまるで 
悪玉のように描かれてるのが 気に食わなかったようである。

私は 司馬遼太郎の考えは 日本人に 人間らしい平等という概念に共感を持ってもらうため 
史実から外れて 面白おかしく  階級制度を飛び越えて、 お殿様にもずけずけと意見を唱える 
人間を魅了する 人間らしい かっこいい スーパーマン竜馬を描いただけ と思ってる。

弥太郎の 三菱という会社を 起業して実施された戦略は 国際的感覚を養った人材の育成と 
日本の国家戦略に沿った 外資を排除した 民族資本の必要に合わせた 
鉄 石炭 造船 などハードビジネスを手がけていった。

その中で人材育成の先駆けである 歴史的事実の一つが明らかにされた。
弥之助は アメリカのコネチカット州の小さな12人だけの学校に入学して 
約2年間学んだ ことがつい最近 アメリカでの弥之助の写真を所有されてる方から
連絡があり、
アメリカでのエピソードを交えながら話された。

誰からも言われるが 成田講師に言わせると 長崎人はおとなしい。
 大法螺を吹いてでもいいから 人からなんと言われようと大きな目標に 
がむしゃらに向かっていく バイタリティーに 欠けてるといいたかったようである。 

ゲンダイの言葉で伝えれば草食系 市民だといいたかったのであろう。

ふるさと物産祭り
鯨かつ
ふるさと物産
鯨カツ画像

しかし
長崎市長は 長崎と広島とのオリンピック同時開催の企画をぶち上げて 
日本中を驚かしたり さらには

長崎の発展に寄与する経済効果戦略をぶち上げ 実現させるため 
中国など外国を訪問して他県よりも先駆けて 精力的に行動されてるし 
長崎の軍艦島や教会群 や 幕末の遺跡など観光資源を発掘して 福山雅治氏を 
ふるさと大使になってもらい 日本中に宣伝している。
 
観光という競合を押しのけて 長崎の豊富な歴史遺産などや長崎人のよそ者に親切という 
強みを生かして また来たいという 感動をしてもらい 新たなる観光資源を発見し 発掘し 
創造して 福山雅治氏などの 有名人を使って全国の人に長崎を知ってもらう。
という 戦略が確立されてきてると感じ取りました。 

形成戦略として 観光資源のある町 三菱の街 水産県の町から脱却する 
更なる事業を展開しなければ ならないことを 

龍馬から 弥太郎から 学ばせてもらいました。

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長崎・丸山公園で龍馬像除幕式
龍馬銅像

来年放映のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて長崎市の丸山公園に建立された
坂本龍馬の銅像の除幕式が15日、現地であった。
完成した銅像は、台座も含めた高さが2・4メートル。長崎で活動する版画家、小崎侃さんが制作した。龍馬の“三種の神器”とされる懐中時計、ピストル、ブーツが取り入れられ、「丸山の風を受けながら闊歩(かっぽ)している様子を表現した」(小崎さん)。
(長崎新聞より抜粋)

長崎女子高じゃ踊り

 除幕式では、福山雅治さんの稲佐山コンサートでジャ踊りを披露した長崎女子高校生たち
彼女らにデジカメを向ければ 屈託のないVサイン そこでマシャの印象を聞いてみた。
やっぱり 彼女らの ノリのよさが  マシャから見れば 宇宙人でも見た 
驚きと捉えられたのかも ですね

ひろやまもと

ヒロヤマモトさんが作詞作曲した竜馬の歌や軍艦島の歌など
彼のオリジナルの曲が数曲披露された。

現代の竜馬像は 
日本人の心のひだに触れた 司馬遼太郎 竜馬がゆく  によって 
多くの日本国民のヒーローと して不動のものと位置ずけられていった。 
多くの人の 志の ヒロイン そして 目標とされていった。

そんな坂本龍馬は時の為政者たちから 利用されてきた
日本国民の間で有名になったきっかけは 明治16年1月から 高知の 土陽新聞に 連載された

汗血千里駒(かんけつせんりのこま) という題名の 小説が連載されてからである。
内容は龍馬の八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍と波乱万丈の生涯を 
千里を走る名馬になぞらえて 一般庶民にもわかりやすく描いたものである。 

当時は 薩摩 長州の藩閥政治に 対抗して
土佐出身の板垣退助らによって起こされた 自由民権運動が盛んで
この自由民権運動の活動家である 坂崎紫瀾 によって書かれた小説である。

この小説の内容の中に 竜馬がなぜ 人々の涙腺(るいせん)に触れ  
小説や講談の世界で 広まっていったかが分析できる。

一介の 土佐藩の脱藩浪士が 人間とは 生まれながらにして 平等であると 
著者坂崎紫瀾が 将軍や諸大名を前にして 身分を越えて 堂々と 対等に意見を 
を述べる竜馬を 小説の中で描いている。

「天賦同等の感情に胸の炎を焦がしつつその門閥を憎み」 と筆者が 
書きしたためていることから 人間は本来生まれながら 平等であらねばならないのに  
長州じゃ 薩摩じゃなどの 藩閥政治を つかさどっていれば いづれ国家は滅びると 
竜馬を小説の中に 登場させて 自分たちの代弁者として 描いていったようである。

藩閥政治に不満を持つ多くの 武士階級や一般大衆を超えて 人々に幅広く 
人間とは本来は生まれながら 平等であると 説いたことが 容易に想像できる。

板垣退助らの志が 崇高なものであると 民衆を取り込むために かっこいい竜馬を描き
そして 重複させて  権力闘争に利用されていったのである。

参考資料 NHK 堂々日本史 

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ましゃ 想いでの地をさるく 稲佐山
1舞台

ましゃさるく の参加者には マシャがここにたって 何を考え 何を想い 何に感激し
フアンに どうすれば喜んでもらえるか エンタティナーとして 考え抜いたことを 
深く考えてもらい たかった。

だから フミさんの強い思いは 
稲佐山展望台に行くスケジュールを変更して 野外コンサート場にいき 
みんなで8月29日30日に戻り 福山☆夏の大創業創業祭 の余韻に浸りたかったが 
すでに展望台が コースに組み込まれてたので 変更することができなかった。 

2会場

そこで展望台から眺める野外コンサート場を 眼下にして ましゃがヘリコプターに乗って
見た景色も こんな眺めでなかったか そして はるか下に見える みんなが手を振る姿を見て 
ナサの宇宙飛行士気分になったそうである。

だから同じ気分を味わってもらえれば と 思い  みなさんには  稲佐山野外ステージに立ってみて 一人づつ歌ってもらいたかったですが 時間のスケジュールの都合がありますので そこは割愛させてもらいました。 
(展望台で野外ステージを眼下にして こんなことを言ったら みなさん大爆笑でした。)

6宝珠山

ましゃも言ってましたが ここからの夜景は、日本三大夜景
(函館・神戸)の一つとして知られてます。
真ん中の 宝珠山 を視点にして 右に稲佐小 ず〜〜と左に振って 淵中学 
もう少し左に振ってパブリックビューイングのビッグN ず〜〜〜と右に振って 
旭大橋とシャトルバスが出た旧魚市跡地 そして 
釣りの思いで灯台 残響写真展が開催された県立美術館 という配置です。
 
5いなさ

稲佐山の高さが333m東京タワーの高さも333m
どのくらいの高さかイメージできたと思います。

4稲佐展望台

希望も絶望も受け止めて、約束の丘に立つその日まで自らの道を切り開いていくと 
誓った場所でもあります。
彼がデビューしての 目標は 10年まだ がんばってたら 稲佐山の野外コンサート場で 
大勢のフアンを呼んで フアンたちはもちろん自分も 楽しもうと 思ってました。

そして9年前 自分自身に約束したことを実現させ
気づいてみれば、 日本国民をうならせる 国民的シンガー ソング ライターになって 
故郷長崎に 音返しを考えてたのですよね 

それが彼の言葉から頻繁に出てくる言葉 感謝ですね
デビユーして 10年後 に開催された 約束の丘ライブそして 8月29日30日 
開催された 20周年ライブも成功させたことにより 今後 30周年 40周年 
とこの稲佐山で 野外ライブが開催されることを願って

約束の丘が 永遠の丘と呼ばれるように みんなで 彼を応援していきましょうね。           

テーマ:長崎 - ジャンル:地域情報

ブログの更新が遅れています。
ハートストーン

このハートの石を発見した人は 幸せをつかむと 伝説となったハートストーン。

いった私たちは何のために生かされてるのでしょうか

ブログの更新が遅れています。
楽しみにされてる方には 申し訳ないですが 

ドルの暴落や 大恐慌がやってくるなど 日本・アメリカの経済破綻が囁かれる 
昨今の 経済状況により 誰でも同じでしょうが 実態経済は冷え込み 予測が立ちません。 
世間は安売り合戦に入り込み よって 製造工場は中国から カンボジア ベトナム へと移転して まったくといっていいほど 日本には製造工場などなくなる日が やってくるのではと 懸念してます。

また
私は株の売買にはまったく興味はありませんが 資産価値のある株価は 軒並み値下がり
投機目的で ごく一部の会社の株価だけが 押し上げてるおかげで 
平均株価は横ばい状態 ですが
このような バクチ経済を尻目に 実態経済は 軒並み 冷え込んでいます。

よって 将来の予定や計画 戦略 戦術を練り直して 行動して
いかねばならないので なかなかブログ更新ができません。

マシャさるくの 稲佐山展望台 や 思案橋ラーメンでの昼食タイム
軍艦島での エピソードを 書きたいのですが 時間が取れません
よって 書けた時点で ずいじ ブログをアップします。 

楽しいこと 悲しいこと 困難なこと ある達成感を強く感じたとき 
自分の生き様だけではなく 他人の生き様を見たとき
私は何のためにこの世に生を受けたのかと 自分とは何者かと考えるようになりました。

人生の門出

あなたも 同じ考えだと思いますが 自分自身の身の回りに起こることには
どんなちいさなことにも また 何気ない人との出会いにも 何かの意味があると思います。 
一つの目標が達成したら また新たな挑戦を始めなければならない。

人生の目的とは この世を全うするまで  終わりがない と感じた。
毛沢東は 一つの矛盾が解決したら 新たな矛盾が生まれると 毛沢東語録の中で説いていた。 
また 自称 霊界の宣伝マン丹波哲郎は あの世とこの世は陸続き この世は修業の場
と みんなに説いていた。

そして私の気づきは 
おかれた環境に 嘆かず 負けずに 愚痴らず 他人のせいに
せずに 全て自分自身に起因するのだと かみ締めて
立ち向かってみます。 

と・・・自分自身に言い聞かせてる昨今です。

テーマ:がんばるあなたを応援します! - ジャンル:ビジネス

宝珠幼稚園内をさるく
宝珠幼稚園内さるく
我々のためにと  オルゴールの音色で milk tea  の曲 が 流れていたのには 
園長先生の 粋な計らいを 感じてしまい 感謝するばかりでした。

ましゃが通園してたころは、 バス通園が主流となりつつあるころで  
お母さん 勝子さんに手をひかれての自宅から宝珠幼稚園までの 通園は   
バス通園では体験できない 思い出が 残響として 
マシャの脳裏に 残ってるだろう と 感じてしまうばかりです。

そういう園長先生から伝えられた ステキな話を フミさんを通して聞いてると
懐かしく自分の幼いころの思い出がよみがえってきた。

私も 近所のミッション系の幼稚園に通ったが 当時はバスどころか 親と一緒の通園
いわゆる 登下校ならぬ登下園 など考えられなかった時代でした。

近所の同じ年の いわゆる幼友達数人で歩いて 通ってました。
自宅から 幼稚園までの 通園にかかる時間は約20分だけど
そこには いろんな ドラマがあった。

坂を上った通り道に いつもいた 怖い犬は、 小学校の高学年になって出会ったとき 
のいつも追いかけられて 怖かった犬が やけに小さく見えて 
なぜこんなかわいい犬を怖がってたのか不思議に思った。

また いつも朝から出会う 天秤棒を担いで市場に花を売りにいく おばさん や 
大きな木下でいつも微笑んでるお地蔵様たちや いつもの見慣れた風景の墓地群 
そして 幼稚園の帰りの下り坂を みんなで いっきに駆け下りた坂道 
そこには 雨が降る時期になるとマリア様のそばで アジサイがいつも咲いてたルルドの丘  
運動会では用意ドンの下に ゴールに走らず 母の元へと一目散にかけっこしてた 
甘えん坊の私を鮮やかに思い出さしてくれた。 

そして 一人で登下園するときの 寂しさや心細さは忘れもしない。 
そんな時に出会った 年上のこわもての小学生たちから かつあげされた思い出。
このときの かつあげされて こわっかた 時の話を私の娘たちに話せば 幼稚園児が
小学生に かつあげされてる 風景が 何か想像できず ほのぼのとした風景が浮かんでくるのか 「うける〜〜〜」 と笑われた。

そして 中学に入学した際 上級生の中に かつあげしてた顔 を数人みつけて 
仲良くなってから 告白した。 
「先輩いさぁ〜〜 子供のころ 幼稚園児の持ってた漫画本とかお菓子ば 
かつあげしよったろぅぅ〜〜〜」 
「うぅんにゃ〜〜 オイは知らんバイ! そんがん悪かこと したことなかぁ〜〜」

とバツのわるそうな顔をしてた 先輩たちと 俺と俺の同級生の幼友達たちは 
お互いに 当時を 懐かしみながら 涙が出るほど 笑い転げて 
帰宅の時間も忘れて親交を深めたものでした。

相撲

マシャも お母さんが マシャを連れて宝珠幼稚園に行けないときなどは 
一人で通園したこともあるであろうし そんな時 空手を習ってたことが 子供ながら 
自分に自信をつけてたのかもしれない と 強気の幼稚園の生徒 
腕白盛りの園児だったかも と勝手に思い込んでいる自分が 
宝珠幼稚園に立ってみて 歩いてみて 一人の子供の歴史を想像してしまいました。

弁天様

そんな ことを勝手に想像してたら
フミさんが 宝珠幼稚園までの道中 のバスの中で 参加者に語っていました。

それは
今回の稲佐山コンサートで販売されていた「刺青Tシャツ」のバックに、
淵神社の芸能と財の神様 である 弁天様が使われていたことをです。 
詳しくは 次回 またこのマシャさるくが あれば フミさんに語ってもいたいですよね。

そして 宝珠幼稚園にたたずんで   フミさんによって
語られたエピソードは 参加者たちを 当時のマシャ幼稚園児のころへと 
時空を越えて タイムスリップさせたことでした。

宝珠幼稚園では、春になるとこの小さな並木通りに、満開の桜が咲きます。

のフレーズで始まり マシャが ぶらりと幼稚園に立ち寄っって 園長先生に語った 
幼稚園での楽しい思い出話や それにまつわる
「17nenmono」のツアーパンフレット を 園長先生にプレゼントされた
フアンとの 心温まる 交流などの すばらしいエピソードを 語っていたのが
印象的でしたが この貴重なエピソードも、 
もし 次回も ましゃさるくがあれば ぜひ 語って もらいます。

そんな エピソードを ある一人の参加者が 聞かれて それって 私の友達のことだと
びっくりされてました。

そのことを 直メで ご丁寧な お礼状をもらった中に 書かれてたました。
素晴らしいことなので 一部だけ 抜粋して 紹介させてもらいます。

 ブログも毎日のようにチェックして、どんな風になるんだろうと
 期待と不安でドキドキしてました(笑)

 でも、始まってしまえば不安はどこかへ飛んで行き、
 次は何かな?何があるの?って楽しみが増すばかりでした♪
やはり、宝珠幼稚園の前で友達の話が出た時が一番驚きました(笑)
 友達からの話と園長先生の思いの両方を聞けた私は幸せだなと思いました。


フアンと園長先生の交流 そこに偶然にいた 大阪から 参加された友達 
そして 
このときの参加者たちとの 情報の共有と 温かい笑顔と 温かい交流が 
またもや芽生えたのが 私やフミさん ともども 皆さんと共有できたことが 
一番うれしかったです。


テーマ:長崎 - ジャンル:地域情報



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